満福寺

[spp]

基本情報

知名度 ★★
平均評価


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種類 寺院(真言宗大覚寺派)
アクセス 江ノ電腰越駅から徒歩5分。
概要 龍護山医王院満福寺は神奈川県鎌倉市腰越二丁目にある真言宗の寺院。
寺伝によれば、744年(天平十六年)、聖武天皇に東国で流行していた病を鎮めるよう命じられた行基が、この地で薬師如来を彫り祈ったところ無事に病が治まったのお堂を建てこれを祀ったのが始まりとされ、平安時代末期に高範という僧が中興した。
一ノ谷、屋島、壇ノ浦の戦いを経て平家一門を滅ぼした源義経は 捕虜となった平宗盛を伴って、1185年(文治五年)鎌倉へと凱旋するが、後白河天皇から勝手に官位を受けたことなどが原因で、兄の頼朝に鎌倉入りを許可されず、腰越の地に留め置かれてしまう。そこで、兄頼朝の誤解を解くべく義経が書いたのが「腰越状」と呼ばれる文章で、大江広元を通じて提出されるが、結局頼朝の意見は変わらず、京へと引き返し義経は最終的には滅ぼされることとなる。この「腰越状」が書かれた場所が満福寺であり、境内には義経、弁慶ゆかりの品が残されている。
もと手広の青蓮寺の末寺で、現在は京都大覚寺の末寺。
見どころ 腰越状襖絵
拝観時間 9時~17時
拝観料 境内自由。本堂内は200円。
サイト http://www.manpuku-ji.net/
住所 神奈川県鎌倉市腰越2丁目4−8

満福寺の見どころ

本堂

関東大震災の被害を受けており、現存の建物は1931年(昭和六年)の再建。本尊は薬師如来像で、元々は脇侍の月光・月光菩薩や十二神将もあったが寛文年間(1661~72年)に失われ薬師如来像のみ残ったという。堂内には、弁慶が書いたとされる腰越状の下書きや静御前との離別や弁慶の最後など義経の一生を描いた襖絵がある。

硯池

義経が腰越状を書く際、墨をするための水を汲んだという池。境内には他にも「弁慶手玉石」や「弁慶腰掛け石」といったゆかりの品が残されている。

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御朱印

種類 ①本尊「薬師如来」の御朱印、②弘法大師相模二十一ヶ所霊場第十五番「弘法大師」の御朱印。
入手場所 本堂受付。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 ないようです。

 
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