泉涌寺

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基本情報

知名度 ★★★
平均評価


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種類 寺院(真言宗泉涌寺派)
アクセス JR奈良線東福寺駅から徒歩15分。市バス泉涌寺道下車徒歩8分。無料駐車場30台分あり。
概要 泉涌寺は京都市東山区泉涌寺山内町にある真言宗泉涌寺派の総本山寺院となっている。
創建は平安時代と古く、1242年(仁治三年)四条天皇陵が境内の置かれて以来、皇室の香華院(菩提寺)となり、御寺(みてら)と呼ばれた。
所有の国宝に泉涌寺勧縁(奈良国立博物館に寄託)と疏附法状(京都国立博物館に寄託)がある。
見どころ 楊貴妃観音堂心照殿仏殿御座所来迎院雲龍院観音寺
拝観時間 9時~16時30分(12月1日~2月末日までは~16時)。心照殿(宝物館)は毎月第四月曜日休館。
拝観料 伽藍拝観大人500円、小人300円。特別拝観300円。
サイト http://www.mitera.org/
住所 京都府京都市東山区泉涌寺山内町27

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泉涌寺の見どころ

楊貴妃観音堂

大門近くにある建物で、唐の第9代皇帝皇帝玄宗が寵愛した楊貴妃の死を悼んで造らせたとの伝説を持つ観音像や六羅漢像を安置する。
この観音像は湛海律師が1230年(寛喜二年)に南宋から請来したもので、長い間100年に一度しか公開されない秘仏だったが、1955年(昭和三十年)から一般公開されるようになった。
現存の建物は、後水尾天皇の中宮東福門院が1665年(寛文五年)に寄進したもの。

心照殿

楊貴妃観音堂の隣に位置する建物で、泉涌寺や塔頭に伝わる数々の寺宝を展示するための施設。
展示内容は定期的に入れ替わる。伽藍拝観料500円を払えばこちらも見学可能。

仏殿

1669年(寛永九年)、江戸幕府四代将軍徳川家綱の援助で再建されたもので、正面五間側面五間重層入母屋造、桟唐戸や花頭窓を用いた典型的な禅宗様建築。
仏殿内陣には中央に本尊の釈迦・左に阿弥陀・右に弥勒の三尊を安置し、背後には白衣観音図が描かれている。この白衣観音図壁画と天井に描かれている龍の図は狩野探幽(1602-1674年)の作。
また、毎年3月15日の涅槃会で掲げられる明誉古礀筆の「大涅槃図」長さ16m、幅8mあり、日本一大きい。

御座所

天皇や皇后が月輪陵に参拝する際の滞在場所として使われていた建物。
現存の建物は1882年(明治十五年)の火災後、1856年(安政三年)に建てられた京都御所の御里御殿を移築したもので、内部には狩野探幽や狩野永岳による豪華絢爛な襖絵が飾られている。

来迎院

泉涌寺の塔頭の一つ。運慶作と伝えられる本尊の阿弥陀如来像、泉山七福神の一人布袋尊、荒神堂に安置され安産に御利益があるとされる荒神坐像(重文)などを祀る。
また、赤穂浪士を率いた大石良雄(内蔵助)が討ち入り前に身を寄せていたことがあり、良雄が建てた茶室などが残されている。拝観料300円、9時~17時。

雲龍院

泉涌寺の別院で、1372年(応安五年)後光厳天皇により創建。
北朝歴歴代天皇の位牌を安置する霊明殿や薬師如来と脇侍の日光・月光を祀る本堂(雲龍院 )がある。
また庫裏には、泉山七福神の一人で、走り大黒とも呼ばれるわらじ履きの大黒天立像が安置されている。
拝観料300円(写経を体験する場合は拝観料込み茶付きで1500円)、9時~16時30分。

観音寺(今熊野観音寺)

泉涌寺の塔頭の一つで、西国三十三所第十五番札所として信仰を集める。
本尊は空海が東山山中で翁から預かったという秘仏の十一面観音像で、頭痛やボケ封じに霊験があるという。
境内には医学の発展に貢献した人々を祀る多宝塔があり、病気の治癒を願う人も多いという。8時~17時、無料。

歴史

創建については詳しい事は不明で、天長年間(824-34年)に弘法大師が開いた草庵が始まりとする説、856年(斉衡三年)に神修上人が左大臣藤原緒嗣の山荘を寺に改め創建したとする説がある。初め法輪寺、次いで仙遊寺と称したが、平安時代中期頃には荒廃した。
再興されるのは鎌倉時代になってからで、1218年(建保六年)、宇都宮信房より仙遊寺を寄進された僧俊芿(月輪大師)の手による。俊芿は伽藍を建立して、境内に涌く清水にちなみ泉涌寺と改称した。更に後鳥羽上皇や後高倉上皇から厚い信任を得ていた俊芿の尽力で御願寺となり、1242年(仁治三年)には四条天皇陵が境内の置かれて皇室のとの結びつきを強めた。
しかし、1467年(応仁元年)に始まる応仁の乱で焼かれ、一時衰退を余儀なくされた、
その後、織田信長、豊臣秀吉の援助で一部が再建され、1664年(寛文四年)の徳川家綱の寄進で本格的に復興された。江戸時代には後水尾天皇以下歴代天皇の御陵が境内に営まれた。

 
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