龍安寺

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基本情報

知名度 ★★★★
平均評価


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種類 寺院(臨済宗妙心寺派)
アクセス 京福電車龍安寺駅徒歩7分。市バス龍安寺前すぐ。市バス立命館大学前徒歩7分。駐車場あり。
概要 龍安寺は京都市右京区竜安寺御陵下町にある臨済宗の寺院。
徳大寺家の山荘を譲り受けた細川勝元が義天玄詔を開山に招き、1450年(宝徳二年)に創建したのが始まり。
現在では石庭やその裏の庭に置かれたつくばいが有名だが、鏡容池の周りでは桜や紅葉も見ごたえがある。
1994年(平成六年)には古都京都の文化財の一つとして世界遺産に登録されている。
見どころ 鏡容池方丈石庭庫裏つくばい西源院
拝観時間 3月1日-11月30日→8時~17時、12月1日-2月28日→8時30分~16時30分
拝観料 大人500円、小中学生300円
サイト http://www.ryoanji.jp/
住所 京都市右京区竜安寺御陵下町13

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龍安寺の見どころ

鏡容池

山門を入って左手に広がる巨大な池で、徳大寺家の山荘の遺構とされる。
昔はオシドリが見られることで知られており、石庭よりも鏡容池を中心とした池泉回遊式庭園の方が有名だったという(現在ではオシドリの代わりにカモやサギが見られる)。
岸辺には桜、ショウブ、スイレン、カエデなど様々な植物が植えられており、四季折々の風景が楽しめる。

庫裏

方丈の隣に位置し、方丈・石庭へ入るための玄関となっている。
現存の建物は1797年(寛政九年)に旧庫裏が焼失した後の再建で、内部には石庭の模型などが飾られており、御朱印もここでいただくことができる。

方丈

1606年(慶長十一年)に建てられた塔頭西源院の方丈を、1797年(寛政九年)に移築したもの。
内部には皐月鶴翁(生没不明、大正・昭和初期に活躍)によって描かれた龍と金剛山の襖絵があり、北側につくばいが置かれた庭園、南側に石庭がある。

石庭

方丈の南側にあるのが有名な石庭で、正式には方丈庭園という。
塀に囲まれた幅25m、奥行き10mの空間で、一面に白砂を敷き、15個の石を東から西へ5・2・3・2・3と配置し、石の周りに苔を少し生やしただけのシンプルな造りになっている。
この石の配置から「七・五・三の庭」や中国の故事にちなんで「虎の子渡しの庭」とも呼ばれる。
虎の子渡しとは、虎が三匹の子を産んだがその内一匹は彪で、目を離すと他の二匹を喰おうとするので、川を渡る時には、まず彪を渡し、ついで子虎のうち一匹を渡したら彪を一旦連れ帰り…と子虎と彪が二人きりにならないように工夫する話。
石庭の作者や作庭年代は不明で、室町時代に相阿弥(????-1525年)によって造られたとも、江戸時代になってからの作庭ともいわれる。
1975年(昭和五十年)には英国のエリザベス女王が石庭を拝観し、世界的に知名度を上げた。国の史跡、特別名勝に指定されている。

つくばい

蹲踞(つくばい)とは茶室などの庭園に置かれている手を清めるための水鉢のこと。
方丈の北側にある龍安寺のつくばいは徳川光圀が龍安寺所蔵の太平記の写本を借りたお礼に贈ったものといわれる。
「知足のつくばい」とも呼ばれ、真ん中の四角い窪みを口の字にみたて、「吾唯足知(吾唯足るを知る)」と書かれており、「知のある者は貧しくとも富んでいる。知の無い者は富んでいても貧しい。」という意味をあらわすという。

西源院

鏡容池の畔にある龍安寺の塔頭の一つ。
荒廃した龍安寺の復興を進めた細川政元が、1489年(延徳元年)に特芳禅傑を開山として創建したもの。
龍安寺の現在の方丈は1799年(寛政九年)に火災で失われた後、西源院の方丈を移したものである。
現在は一部が料理屋になっており湯豆腐が食べられる。隣にある大珠院は非公開だが、真田雪村とその妻の墓がある。

御朱印・御朱印帳

種類 「石庭」の1種類。
入手場所 庫裡受付の朱印所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 つくばいが描かれた御朱印帳があります。
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歴史

当地は元々は円融寺の境内で、平安時代末期からは徳大寺家の別荘が建っており、その跡地を譲り受けた室町幕府管領の細川勝元が、1450年(宝徳二年)に妙心寺八世住持の義天玄詔を開山に招いて龍安寺を創建した。
その後、幕府切っての実力者勝元の支援で大寺院へと発展していくが、勝元が東軍の将となって山名持豊らの西軍と争った応仁の乱で焼かれ荒廃した。
しかし、1488年(長享二年)に勝元の子政元が特芳禅傑を招いて復興し往時の勢いを取り戻した。
1797年(寛政九年)には火災で政元による復興時の多くの建物が焼けている。
1975年(昭和五十年)には来日したエリザベス女王が石庭を見学し、世界的にも知られることとなった。

 
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