東寺

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基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


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種類 寺院(真言宗)
アクセス JR京都駅から徒歩15分。近鉄東寺駅から徒歩10分。有料駐車場あり(乗用車600円/2時間)。市バス→東寺東門前、東寺西門前、東寺南門前、九条大宮下車すぐ。
概要 東寺は京都市南区九条町にある真言宗の寺院で、正式には八幡山教王護国寺という。
平安京に遷都したばかりの796年(延暦十五年)、羅生門の東側に官寺として創建されたのが始まりで、823年(弘仁十四年)空海に下賜され真言密教の根本道場となった。
創建当時の建物は残されていないが、境内の位置や建物の配置は当時とほぼ変わっておらず、建造物、彫刻、絵画、仏具など数多くの国宝を所蔵する。東寺真言宗の総本山。
見どころ 南大門五重塔講堂金堂食堂大師堂観智院蓮花門東寺宝物館弘法市
拝観時間 夏季:3月20日-9月19日→8時30分(開門は5時)~17時30分、冬季:9月20日-3月19日→8時30分(開門は5時)~16時30分
拝観料 境内無料。金堂、講堂は500円。他は期間限定公開で料金は400~500円。
サイト http://www.toji.or.jp/
住所 京都市南区九条町1

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東寺の見どころ

南大門

九条通りに面して建つ三間一戸切妻造本瓦葺の堂々とした八脚門。
現存の建物は、1601年(慶長六年)建立の蓮華王院(三十三間堂)の西門を1895年(明治二十八年)に移築したもの。

五重塔

京都のシンボルともなっている五層構造の塔。高さは約55mあり、日本に現存する木造塔の中で一番高い。
空海によって建造が開始されるが、実際に完成したのは死後50年たった883年(元慶七年)頃とされ、その後1055年(天喜三年)に落雷で焼失するなど何度も災害にあい、現在の建物は1644年(寛永二十一年)に江戸幕府三代将軍徳川家光の支援で再建された5代目。
各層三間四方、本瓦葺、伝統的手法に則った和様建築で再建されており、初層内部には大日如来に見立てた心柱を中心に須弥壇を設け、その周りに金剛界四仏像と八大菩薩像を安置し、壁や柱には金剛曼荼羅、真言八祖像が描かれている。
内部は通常非公開だが期間限定で公開されることもある。国宝に指定。

講堂

839年(承和六年)に完成したのが最初だが、1486年(文明十八年)に焼失し、その後の1491年(延徳三年)に再建されたのが現在の建物で、1598年(慶長三年)には秀吉の母大政所によって修復されている。
正面九間、側面四間の単層で入母屋造本瓦葺の純和様建築。内部の須弥壇には、中央に大日如来を中心とした五仏(五智如来)、右に金剛波羅密菩薩を中心とした五菩薩、左には不動明王を中心とした五大明王、両端に梵天と帝釈天、四隅に四天王を安置する(この配置は空海の思想を表した羯磨曼荼羅(立体的な曼荼羅)だと言われている)。
これら21体の内、五仏と五菩薩の中尊の金剛波羅蜜菩薩像は室町~江戸時代の補作だが、残り15体は創建当初に作られたものとされる。五大菩薩坐像、五大明王像、四天王立像は国宝に指定。

金堂

796年(延暦十五年)に東寺ができる時に最初に建てられたのが金堂だが、1489年(文明十八年)の土一揆で焼失し、現在の建物は1603年(慶長八年)に豊臣秀頼の支援よって再建されたもの。正面七間、側面五間の入母屋造本瓦葺。
内部には3m近お大きさの本尊薬師如来像と日光菩薩、月光菩薩が安置され、本尊台座には十二神将軍が彫りこまれている。これらの像も再建時に造られたもの。

食堂

僧侶が食事をするための堂で、初めて建てられたのがいつかは不明だが平安時代中期頃には存在していたという。
1596年(文禄五年)に地震で倒壊し、江戸時代後期になってから再建されたが、それも1930年(昭和五年)に焼失し、現在の建物は1933年(昭和八年)に再建されたもの。
元々は千手観音を祀っていたが、火事でダメージを受け、1965年(昭和四十年)には修復されたが宝物館で保存されており、現在は十一面観音像が安置されている。

大師堂(御影堂)

空海が住居として使用していたという場所で、現在の建物は1380年(康暦二年)に再建されたもの。
後堂、前堂、中門廊の3つの建物からなり、内部には空海の持仏とも伝えられる平安時代の不動明王像や1233年(天福元年)に仏師法眼康勝が造った玉眼が印象的な弘法大師像が安置されている。

観智院

後宇多法王にによって延慶年間(1308~11年)に建てられ、1359年(延文四年)、杲宝が一世となり東寺の塔頭として創建され、杲宝や弟子の賢宝はここで東寺に伝わる大量の書物や文書を編纂し学問研究の中心となった寺院。
本堂内部には唐からの請来像だといい安祥寺から移した本尊の五大虚空蔵菩薩像を安置する。
国宝に指定されている客殿は、典型的な桃山時代の書院造とされ、1605年(慶長十年)の建設。宮本武蔵が描いたとされる壁画がある。

蓮花門

灌頂院の北側に位置する門。
現存のものは鎌倉時代前期に再建された八脚門で、東寺の門の中で最も古い。

東寺宝物館

東寺に伝わる大量の文化財を保存する収蔵庫で普段は入れないが、3月20日から5月25日と9月20日~11月25日の春秋2期間だけ公開される。
羅生門に安置されていたとされる兜跋毘沙門天立像、食堂の本尊だった6mの千手観音、西寺にあったという地蔵菩薩、空海が唐から持ち帰ったという真言七祖像などなど東寺の寺宝が収蔵されている。

弘法市

弘法大師の命日3月21日にちなんで毎月21日には御影供が行われ、境内には弘法市と呼ばれる市が立つ。
骨董、古道具、古着、雑貨など常時1200~1300店ほどの露店が建ち並び多くの人で賑わう。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「弘法大師」、②「不動明王」、③「十一面観音」、④「八幡大菩薩」、⑤「虚空蔵菩薩」、⑥「愛染明王」、⑦「毘沙門天」、⑧「大日如来」、⑨「薬師如来」。
入手場所 食堂内の納経所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 桜や亀がデザインされたものなど数種類あり。
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東寺の歴史

平安京に遷都した2年後の794年(延暦十三年)、羅生門の東西に東寺と西寺(現存せず)という二つの官寺が建設されることが決定した。しかし、工事は捗らず、818年(弘仁九年)になっても完成したのは東寺では金堂だけであった。
建設費用が朝廷にとって負担となっていたこともあり、823年(弘仁十四年)、東寺の金堂は嵯峨天皇から真言宗の開祖空海に下賜されて真言密教の根本道場となった。これが教王護国寺の始まりで、その位置や建物の配置は現在まで変わっていないという。
空海は講堂と五重塔の建設に着手し、講堂は839年(承和六年)に完成したが、五重塔は空海死後の883年(元慶七年)頃になってから完成した。
平安時代末期には源平の争乱の影響で衰えたが、鎌倉時代初期には文覚上人が源頼朝の支援をとりつけて復興を進め、後白河法皇の皇女宣陽門院の帰依を受けて大師堂(御影堂)が創建された。
またこの頃には、東寺は真言密教の修行の場としてだけでなく弘法大師信仰の中心地として一般庶民にも知られるようになった。
応仁の乱の乱では焼失を免れたが、1486年(文明十八年)に起きた土一揆(百姓などが徳政を求めて起こした武装蜂起)では境内に人々が立てこもり、ほとんどの建物が焼失する被害にあった。
その後、豊臣秀吉、秀頼や徳川家の支援で復興され現在へと至る。
1994年(平成六年)には古都京都の文化財の一部として世界遺産に登録されており、金堂、大師堂、五重塔、蓮華門、観智院客殿、木造兜跋毘沙門天立像、木造弘法大師坐像、木造僧形八幡神坐像1躯、女神坐像2躯、絹本著色真言七祖像、絹本著色両界曼荼羅、弘法大師筆尺牘など国宝に指定の文化財を多数所有する。

 
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