吉田神社

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基本情報

知名度 ★★
平均評価


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種類 神社
アクセス 京阪本線出町柳駅徒歩20分。市バス京大正門前下車5分。駐車場あり(利用の場合は社務所に申請する必要あり)。
概要 京都市左京区吉田神楽岡町にある神社で、建御賀豆智命、伊波比主命天之子八根命、比売神を祀る。
859年(貞観元年)、藤原山影が奈良春日大社の神を勧請して創建。文明年間(1469年-1487年)には神職の吉田兼倶が吉田神道(唯一神道)を唱えて影響力を持った。
境内には本宮や摂社の若宮社、神楽岡社、末社の斎場所大元宮、神龍社、菓祖神社、山蔭神社、竹中稲荷神社などがある。また、主な行事には節分祭(2月2~4日)、例祭(4月18日)、今宮社神幸祭(10月上旬)などがある。
見どころ 本宮斎場所大元宮神龍社節分祭
拝観時間 境内自由(社務所等は9時~17時)
拝観料 無料
サイト http://www.yoshidajinja.com/
住所 京都府京都市左京区吉田神楽岡町30

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吉田神社の見どころ

本宮

春日神社から勧請した四柱の神を祭神とする社。
第一殿に建御賀豆知命、第二殿に伊波比主命、第三殿に天之子八根命、第四殿には比売神を祀り、第一殿・第二殿の神は厄除・開運、第三殿は学問、第三殿・第四殿は良縁、夫婦和合に御利益のある神として信仰されている。
本殿の建物は1648年(慶安元年)の建立。春日造り。

斎場所大元宮

吉田神社の末社の一つで、中央の本殿には全ての神の根源である大元尊神と天神地祇八百萬神を祀り、東神明社には天照皇大神、西神明社には豊宇氣比売神が祀られている。
室町時代の末期に吉田兼倶により吉田神道の根本霊場として創建されたのが始まりで、本殿は1484年(文明十六年)に日野富子の支援で建てられ、1601年(慶長六年)豊臣秀頼の母淀君によって造替られたもの。
吉田神道の教えを象徴する八角形の建物で、前面に一間の拝殿、背面に六角形の祈祷所を設けた独特の形態をしている。重要文化財に指定。

神龍社

吉田神社の末社の一つで、吉田神道の創始者である吉田兼倶(神龍大明神)を祀る。
兼倶は1511年(永正八年)に亡くなった後、神楽岡に葬られ、その上に神龍社が建てられたと伝えられる。
現在残されている社殿もこの頃に建てられたものだと考えられている。

節分祭

節分前後に行われる一連の行事のことで、この時境内には屋台や露店が立ち並び全国から多くの人が訪れる。2月2日に節分前日祭、疫神祭、追儺式、2月3日に節分当日祭、火炉祭、2月4日に節分後日祭が行われる。

御朱印

種類 ①「吉田神社」の御朱印、「大元宮」の御朱印。
入手場所 境内社務所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 白地に鳥居が描かれたオリジナル御朱印帳があります。
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歴史

859年(貞観元年)、藤原北家魚名流の中納言藤原山蔭が藤原氏の氏神である春日明神(祭神4柱の総称)を大和の春日大社から勧請して、山蔭一門の氏神社として創建したのが始まり。山蔭の孫と藤原兼家の間に生まれた詮子(東三条院)が円融天皇に嫁ぎ、一条天皇を生むと藤原氏全体の氏神社として崇敬されるようになった。
鎌倉時代初め頃からは、古くから占いを職業としてきた卜部氏(後に吉田氏)が神職を務めるようになり、明治になるまで代々受け継がれていった。
始め社殿は現在の京都大学の敷地内にあったとされるが、応仁の乱で焼失した後、現在地に再建された。
文明年間(1469年-1487年)には吉田兼倶が出て、吉田神道(唯一神道)を唱え、その拠点として斎場所大元宮が創建された。江戸時代になると唯一神道への評価が高まり、斎場所大元宮は多くの参詣者で賑わった。近代社格制度のもとでは官幣中社に列せられた。

 
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