信貴山朝護孫子寺

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基本情報

知名度 ★★★
平均評価


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種類 寺院(信貴山真言宗)
アクセス 近鉄生駒線信貴山下駅から奈良交通バス信貴山門行きで終点下車、徒歩15分。駐車場あり。
概要 朝護孫子寺は奈良県生駒郡平群町大字信貴山にある寺で、信貴山真言宗の総本山となっている。
創建の事情は明らかでないが、一説によれば587年(用明天皇二年)、物部守屋との戦いの際に聖徳太子が当地で祈ると毘沙門天が現れ必勝の秘法を授け、勝利した太子が自ら四天王像を刻んで信貴山寺を建てたという。
標高437mの信貴山山中の境内には本堂、経蔵堂、三重塔、多宝塔などが建ち並び、桜や紅葉も美しい。
また霊宝館には有名な信貴山絵巻が納められている。
見どころ 本堂、霊宝館
拝観時間 9時~16時30分
拝観料 境内自由(本堂は秘仏公開時500円)、霊宝館大人300円、小人200円。
サイト http://www.sigisan.or.jp/
住所 奈良県生駒郡平群町信貴山2280-1

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朝護孫子寺の見どころ

本堂

張り子の虎(Photo by:朝護孫子寺HP) 世界一福寅(Photo by:朝護孫子寺HP)

元の本堂は1602年(慶長七年)に豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建したものだったが、1951年(昭和二十六年)に火災で焼失し、現存するのは1958年(昭和三十三年)の再建。
堂内には本尊の毘沙門天王像や善膩師童子像、吉祥天像、毘沙門天の眷属二十八使者像を安置するが、本尊は秘仏で1月1日~10日と7月1日~5日のみ公開される(代わりにお前立ちの像を拝観することができる)。
本堂の地下にはには覚鑁上人が納めたという如意宝珠が祀られており、暗闇の中を歩いて心願成就を祈る「戒壇めぐり」を行うことができる(料金100円)。
画像は赤門前にある世界一福寅と書かれた巨大な張り子の寅で奥に本堂が見える。

霊宝館

朝護孫子寺に伝わる寺宝を収蔵、展示するための施設。
主な収蔵品には、信貴山を再興した僧命蓮にまつわる説話を描いた平安時代末期成立の紙本著色信貴山縁起絵巻(国宝)や命蓮が飛ばしたという金銅鉢(重文)、楠木正成のものと伝えられる兜などがある。
信貴山縁起絵巻は普段、複製が展示されており、10月末から二週間の秋の特別公開期間のみ本物が公開される。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「毘沙門天王」、②大和七福神「毘沙門天」、③真言宗十八本山「毘沙門天」、④聖徳太子御遺跡霊場第二十番「四天王随一 毘沙門天」、⑤役行者霊蹟札所「毘沙門天」、⑥「空鉢護法」、⑧大和北部八十八ヶ所霊場第四十六番「弘法大師」。
入手場所 本堂内の朱印所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 寺紋の入ったシンプルな御朱印帳があります。
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歴史

587年(用明天皇二年)、聖徳太子が物部守屋の討伐に向かう途中、この山で祈りを奉げると寅の年、寅の日、寅の刻に毘沙門天が現れ必勝の秘法を授け、その御加護で勝利し太子は自ら四天王像を刻み寺を建てた。という話が伝えられているが史料などには登場せず、創建に関しては不明な点が多い。
平安時代中期には毘沙門天を祀る円堂が残るのみで荒廃していたが、延喜年間(901年~923年)に信貴山絵巻で知られる命蓮が再興し、醍醐天皇の病回復を祈って朝護孫子寺の寺号を与えられたという。
その後、密教や修験道の道場として栄え大寺に発展し、後醍醐天皇の皇子大塔宮護良親王や楠木正成、武田信玄も信仰を寄せた。
1577年(天正五年)、には背後にあった戦国大名松永久秀の信貴山城が織田信長に攻められて、寺もダメージを受けたが、豊臣秀頼や徳川家の支援で復興されている。
鎌倉時代以来興福寺の末寺となっており、明治以降は高野山真言宗に属したが、1951年(昭和二六年)独立して信貴山真言宗を立ち上げた。

 
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