飛鳥寺

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基本情報

知名度 ★★★
平均評価


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種類 寺院(真言宗豊山派)
アクセス 近鉄南大阪線・橿原線橋原神宮前駅から奈良交通バス飛鳥駅行に乗り、飛鳥大仏前下車すぐ。→詳細
概要 飛鳥寺は奈良県高市郡明日香村にある真言宗豊山派の寺院で、現在の正式名称は鳥形山安居院という。
蘇我馬子が588年(崇峻天皇元年)に造営を開始した日本最古の本格的な仏教寺院飛鳥寺(法興寺・元興寺とも)を前身とするが、その後著しく荒廃したため大寺院だったというかつての面影は残っていない。
しかし、金堂跡の本堂に安置される飛鳥大仏こと釈迦如来座像は大幅に修理されているもの創建時から伝えられる日本最古の仏像である。
見どころ 飛鳥大仏、蘇我入鹿の首塚
拝観時間 4-9月→9時~17時15分、10-3月→9時~16時45分
拝観料 境内自由(本堂は300円)
サイト なし
住所 奈良県高市郡明日香村飛鳥682

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飛鳥寺の見どころ

飛鳥大仏

飛鳥大仏(Photo by: wikimedia)飛鳥大仏(Photo by:wikimedia

本堂に安置されている本尊の釈迦如来座像のことで飛鳥大仏の通称で親しまれている。
605年(推古天皇十三)、天皇の命で鞍作鳥(止利仏師)により造られ、翌605年(同十四年)あるいは608年(同十七年)に完成し金堂に安置された丈六仏がこれにあたると考えられている。
ただ、1196年(建久七年)に焼損し、当初のまま残っているのは頭部と手の一部だけだと言われている。
銅造高さ275cm。重要文化財に指定。

蘇我入鹿の首塚

蘇我入鹿は馬子の孫にあたる人物で、皇極天皇のもとで大臣となり、聖徳太子の子山背大兄王を滅ぼすなど権勢をふるったが、645年(大化元年)、中臣鎌足、中大兄皇子(後の天智天皇)らによって暗殺された。
西門の先にはその首塚といわれる五輪塔が立つ。

御朱印・御朱印帳

種類 ①新西国霊場第九番「飛鳥大佛」の御朱印、②新西国霊場第九番御詠歌の御朱印、③聖徳太子御遺跡霊場第十一番「丈六釈迦」の御朱印。
貰える場所 境内寺務所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 ないようです。
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歴史

仏教受容に積極的な蘇我馬子が廃仏派の物部守屋を滅ぼした後に創建した寺で、「日本書紀」によれば588年(崇峻天皇元年)に百済から派遣された僧や職人の協力で造営が開始され、591年(同四年)に仏堂と回廊が建ち、593年(推古四年)に完成した。
また606年(推古天皇十四年)には鞍作鳥によって丈六釈迦像(釈迦如来坐像)が造られた。
蘇我氏の氏寺として大伽藍が建立され、当時の寺域は東西200~250m、南北290mという広大なもので、五重塔を中心として東・西・北に3つの金堂を配し、それらを囲う回廊の外に講堂が置かれた。
710年(和銅三年)に平城京遷都が行われると、飛鳥寺も平城京に移され元興寺となったが、飛鳥の地にも寺は残され本元興寺などと呼ばれた。
しかし1196年(建久七年)、落雷で金堂や塔が焼失して以降荒廃が進み、室町時代末期には建物はなく釈迦如来坐像が露座で置かれているだけというありさまだったといわれている。
江戸時代中頃にも仮堂が建てらていたのみで、現在の安居院本堂は1825年(文正八年)に大阪の篤志家の援助で建てられたもの。昭和期に発掘調査が行われかつての伽藍配置が判明した。

 
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