談山神社

[spp]

基本情報

知名度 ★★★★
平均評価


0

種類 神社
アクセス 桜井駅南口より桜井市コミュニティバス談山神社行バスで談山神社下車、徒歩6分。駐車場あり(乗用車無料)
概要 談山神社は奈良県桜井市多武峰にある神社で、藤原鎌足(中臣鎌足)を祀る。
社伝によれば、鎌足の死後の678年(天武天皇七年)、息子の定恵が十三重塔を建てたのが始まりとされ、多武峯と称されて神仏一体として祀っていたが明治になると神仏分離令の影響から談山神社となった。
境内には、本殿・拝殿・楼門・神廟拝所や末社の比叡神社、竜神社などが建ち、桜・紅葉の名所として知られる。
主な行事には八講祭(3月12日に近い日曜)、神幸祭(4月第2日曜)、春のけまり祭(4月29日)、鏡女王祭(6月第2日曜)、献燈祭(8月14日)、嘉吉祭(10月第2日曜)、けまり祭(11月3日)、例大祭(11月17日)がある。
見どころ 東大門摩尼輪塔十三重塔拝殿本殿東殿紅葉
拝観時間 8時30分~16時30分
拝観料 大人600円、小人300円
サイト http://www.tanzan.or.jp/
住所 奈良県桜井市多武峰319

[gad]

談山神社の見どころ

東大門

参道入口に位置する高麗門。
手前には「女人堂道」の石標があり、かつて女性はこれより奥に立ち入ってはいけなかったという。現存する建物は江戸時代前期の再建とみられる。

摩尼輪塔

参道の途中にある石塔。
塔身の上部が円形になった面白い形をしており、円盤の部分に胎蔵界大日如来を表す梵字が刻まれている。乾元二年(1303年)の銘を持ち、重要文化財に指定されている。

十三重塔

境内にある高さ約16メートルの塔。
678年(天武天皇七年)に鎌足の子定恵が建てたのが最初だが、現存するのは1532年(享禄五年)の再建。
木造の十三重塔は非常に珍しく重要文化財にしていされている。各層の間隔が狭く圧縮された印象を受ける。

拝殿

本殿手前の拝殿は1520年(永正十七年)に建てられたものと、一面が崖に迫り出した懸造(舞台造)となっている。内部には縁起絵巻などの宝物を展示。

本殿

三間社隅木入春日造の建物で、現存するのは1850年(嘉永三年)の再建。柱などに極彩色の彫刻を施し、日光東照宮を建てる際に手本にされたともいわれる。
内部には中臣鎌足像を安置する。

東殿

東殿は談山神社の摂社で、中臣鎌足の正室である鏡王女を祀る。恋神社という別称もあり縁結びにご利益があるとされる。

紅葉

談山神社のある多武峯を紅葉の名所として知られ、秋の紅葉シーズンには多くの観光客で賑わう。また桜の木も多く、春には花見が楽しめる。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「談山明神」の御朱印、②「談山神社」の御朱印、③「神像」の御朱印、④十三重塔「神廟の御朱印」(期間限定)、⑤大和七福神「福禄寿神」の御朱印、⑥「多武峯」の御朱印。
入手場所 拝殿近くの授与所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 社殿と十三重塔が描かれた御朱印帳があります。値段は1000円。
広告

歴史

大化の改新の立役者である中臣鎌足は669年(天智天皇八年)に亡くなると摂津の阿威山(現大阪府茨木市)に葬られが、鎌足の長男で僧の定恵が678年(天武天皇七年)、墓を移し十三重塔を建立した。
ただ他の史料によれば定恵は留学先の唐から帰国した後の666年( 天智天皇四年)に没している。
680年(天武天皇九年)、講堂が建てられ、701年(大宝元年)には十三重塔の東に鎌足の木像を安置する祠堂が完成して、聖霊院妙楽寺と号した。
一山は多武峯(多武峯寺)とも称され、大化の改新の際に鎌足と中大兄皇子がここで蘇我氏打倒を話あったとの伝承から談山とも呼ばれるようになった。
その後も藤原氏と関係が深く、天台宗の寺院として発展したが、同じく藤原氏の氏寺で法相宗の興福寺の勢力とはしばしば争いを繰り返した。また多数の僧兵を擁し朝廷に強訴を行ったことでも知られる。
戦国時代にはたびたび戦場となり、1585年(天正十三年)には豊臣秀吉によって移転を命じられたが1590年(天正十八年)に帰山を許され徳川家康の支援で再興された。
神仏習合が進んでいたが、1869年(明治二年)の神仏分離令により僧は還俗し談山神社となり、近代社格制度のもとでは別格官幣社に列せられた。戦後は独立して宗教法人談山神社となっている。

 
[gad45]

広告