大阪天満宮

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基本情報

知名度 ★★★★
平均評価


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種類 神社
アクセス JR東西線大阪天満宮駅から徒歩4分。大阪市営地下鉄谷町線・堺筋線南森町駅徒歩5分。駐車場あり。→詳細
概要 大阪府大阪市北区天神橋にある神社で菅原道真を祀る。
今も境内社として残る大将軍社の方が古くからあり、そこに949年(天暦三年)に村上天皇の勅で菅原道真を祀る社が建てられたのが大阪天満宮の始まりとされる。
天満宮はもともと道真の祟りを鎮めるために建てられたものだが、現在では専ら学問の神として信仰され、当社も受験シーズンになると合格お守りを求める受験生で賑わう。
主な行事には、初詣・歳旦祭・拂暁祭(1月1日)、初天神梅花祭(1月24、25日)、節分祭(2月3日)、なにわ七幸祭・七幸市(2月第一日曜日)、例祭=菜花祭(3月25日)、鎮花祭(4月25日)、道饗祭(6月30日)、天神祭(7月24、25日)、秋思祭(中秋の名月)、秋大祭・流鏑馬神事(10月25日)、終天神(12月25日)がある。
見どころ 本殿梅花殿大将軍社星合の池灯籠天神祭
拝観時間 9時~17時
拝観料 境内自由
サイト http://www.tenjinsan.com/
住所 大阪府大阪市北区天神橋2-1-8

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大阪天満宮の見どころ

本殿

現存の社殿は1845年(弘化二年)の再建であり、拝殿・幣殿(相の間)・本殿が一体となった権現造で建てられている。
幣殿には日本画家の津端道彦(1869-1938年)による「鷹の図」「麒麟の図」などの襖絵がある。

梅花殿

1928年(昭和三年)に行われた1025年大祭の記念に建てられた建造物。
津端道彦、上田耕冲、磯長長秋、若林探溟、三宅呉暁らによる豪華な襖絵が飾られ、賓殿で用材は伊勢神宮で使われていた木材を下賜されたものだという。
庭園には道真が愛したという梅の木が植えられている。

大将軍社

大阪天満宮のもととなった神社で、八衢比古神(やちまたひこのかみ)・八衢比売神(やちまたひめのかみ)・久那斗神(くなどのかみ)を祀る。
650年(白雉元年)、難波長柄豊碕宮を造営した孝徳天皇によって王城鎮護の神として祀られたのが始まりとされる。

星合の池

境内の北側に位置する池で亀の池とも呼ばれる。
池に架かる愛嬌橋で出会った男女は結ばれるという言い伝えがあり、池の畔には梅が植えられている。

灯籠

境内には元和三年(1617)銘を持つ石灯籠が3基あり、銘文からこれらは大阪の陣の後、大阪城主となった松平忠明が家康を祀るために創建された川崎東照宮(現存せず、現在の滝川小学校辺り)に奉納したものであることが分かる。
1873年(明治六年)に川崎東照宮が廃社になった際当社に移されたものと思われる。

天神祭

毎年7月24日、25日に行われる当社の祭りのことで、神田明神の神田祭、八坂神社の祇園祭と共に日本三大祭のひとつに数えられている。鉾流神事、船渡御などがある。

御朱印・御朱印帳

種類 「大阪天満宮」または「天満天神」。
貰える場所 境内授与所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 梅の花がデザインされた御朱印帳があります。値段は1000円。
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歴史

菅原道真は宇多天皇に重用されて出世を重ね、899年(昌泰二年)には右大臣にまで登りつめたが、901年(昌泰四年)、左大臣藤原時平に讒訴され大宰府に左遷された。
この時、船に乗る前に摂津中島の大将軍社に参詣して船路の安全を祈ったと社伝は伝える。
左遷された道真は都に戻ることなく903年(延喜三年)に大宰府で憤死したが、その後時平をはじめとする関係者が次々と亡くなり、道真の祟りが噂された。
この祟りを鎮めるために大宰府や北野で道真を祀るようになったのが天満宮の始まりであり、当社は949年(天暦三年)、大将軍社の前に突然7本の松が生え、夜毎にその梢が霊光を放ったという報告を受けた村上天皇が道真公のなした奇瑞と考え、勅命を出して道真を祀る社を建てたのが始まりという。
その後、和歌の神、連歌の神、学問の神として崇敬されるようになり、江戸時代には広く民衆の信仰も集めた。
南北朝間の争いや織田信長と本願寺の間で起きた石山戦争、1837年(天保八年)の大塩平八郎の乱、1837年(天保八年)の大火などで度々焼失したがその度に信者の支援によって再建されている。

 
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