崇禅寺(大阪)

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基本情報

知名度
平均評価


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種類 寺院(曹洞宗)
アクセス 阪急京都線崇禅寺駅から徒歩4分。新大阪駅から徒歩15分。駐車場あり。
概要 崇禅寺は大阪市東淀川区東中島にある曹洞宗の寺院。
寺伝によれば、奈良時代の天平年間(724-48年)に行基が創建したとされ、1441年(嘉吉元年)に室町幕府6代将軍足利義教が播磨守護の赤松満祐に殺される事件(嘉吉の変)が起きた際、満祐が義教の首を当寺に葬ったころから、義教の菩提寺となり、管領細川持賢の支援で大伽藍が建立された。
その後、戦乱に巻き込まれ規模を縮小し、江戸時代に復興されたが、第二次大戦中の空襲で多くを失った。
見どころ 足利義教の首塚細川ガラシャの墓遠城兄弟の墓本堂
拝観時間 日中
拝観料 境内自由
サイト http://souzenji.net/
住所 大阪府大阪市東淀川区東中島5-27-44

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崇禅寺の見どころ

足利義教の首塚

足利義教は第3代将軍足利義満の子で、青蓮院で出家して僧籍に入っていたが、1428年(応永三十五年)に4代将軍足利義持が後継者を指名せず亡くなったことを受けて行われた籤引きにより新将軍に選ばれたため還俗して6代将軍に就任(5代将軍足利義量は1425年に病死)。
将軍となった義教は有力守護の勢力を削ぐことに力を入れていたが、1441年(嘉吉元年)、粛清されることを恐れた赤松満祐により赤松邸で暗殺された。

細川ガラシャの墓

細川ガラシャは明智光秀の子で細川忠興の正室。
1600年(慶長五年)の関ヶ原の戦いの際に、石田三成の人質となることを避け、自ら命を絶ったことで知られ、死後、宣教師のオルガンチノが遺骨を集め細川氏ゆかりの当寺に葬ったとされる。

遠城兄弟の墓

1715年(正徳五年)、遠城治左衛門と安藤喜八郎は、剣術の試合で勝ったことを逆恨みされ生田伝八郎に殺された弟・遠城宗左衛門の仇を討とうと、伝八郎を当寺境内に呼び出すが返り討ちに遭って死んだ(崇禅寺馬場の仇討)。
境内にはこのことを哀れに思った当時の住職門啓天岑と元江戸町方与力勝見宗春によって築かれた遠城兄弟の墓がある。

本堂

現存する建物は1989年(平成元年)の再建。
堂内には伝教大師(最澄)の作と伝えられる釈迦如来像を安置する。

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御朱印・御朱印帳

種類 「釈迦牟尼佛」御朱印の1種類。
貰える場所 本堂背後の寺務所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 ないようです。

 
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