住吉大社

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基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


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種類 神社
アクセス 阪堺線住吉鳥居前駅すぐ。上町線住吉公園駅から徒歩2分、南海本線住吉大社駅から徒歩3分。南海高野線住吉東駅から徒歩5分。駐車場あり(初詣・夏祭りの期間は使用不可)。
概要 大阪府大阪市住吉区住吉にある神社で、底筒男命・中筒男命・表筒男命及び神功皇后を祀る。
社伝によれば神功皇后が新羅征討を助けた住吉三神を神功皇后摂政十一年(211年?)に現在地に祀ったのが始まりとされ、海の神、航海の神、戦いの神、和歌の神などとして信仰されてきた。
現在も広大な敷地に多数の末摂社が建ち並び、特に初詣には毎年多くの人が訪れることで知られる。
主な行事には、元始祭(1月1日)、節分祭(2月節分)、昭和祭(4月29日)、卯之葉神事(5月初卯日)、御田植神事(6月14日)、大祓式(6月3日)、住吉祭=夏祭り(海の日、7月30日~8月1日)、観月祭(中秋の名月)、埴使(11月初旬)、七五三祝祭(11月15日)、大祓・除夜祭(12月31日)がある。
見どころ 反橋誕生石本殿石舞台大海神社船玉神社志賀神社侍者神社住吉灯籠
拝観時間 4月-9月→6時~17時、10月-3月→6時30分~17時。お守りの授与→8時30分~17時。祈祷受付→9時~16時
拝観料 境内自由
サイト http://www.sumiyoshitaisha.net/
住所 大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89

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住吉大社の見どころ

反橋(太鼓橋)

大鳥居の先に位置する池に架かる長さ約20m、幅5.8m、高さ4.4mの太鼓橋。
慶長年間(1596年~1615年)に豊臣秀吉の側室淀殿(あるいは秀吉自身)が寄進したものといわれ、橋そのものは造り替えられているが、橋脚は当時のものが残されている。
川端康成には当社を舞台にした小説「反橋」「しぐれ」「住吉」があり、池の畔に川端康成記念碑が立っている。
夜は21時までライトアップされ、関西夜景100選にも選ばれている。

誕生石

鎌倉時代から江戸時代にかけて薩摩に勢力を持った島津氏の祖である島津忠久が誕生したとされる場所。
鎌倉幕府の御家人比企氏の女性丹後局が源頼朝の子を懐妊したが、北条政子に追われてこの地に至り、急に産気づいたため傍らにあった大石を抱いて男児(島津忠久)を出産したという話が伝えられている(島津氏の出自には諸説あるが、島津氏によって編纂された「島津国史」「島津氏正統系図」などではこれが公式見解となっている)。

本殿

現存の建物はいずれも1810年(文化七年)の建立であり、第三殿、第二殿、第一殿が西向き一直線に並び、第三殿の横に第四殿が平行して建つ独特な配置となっている。
またその建築様式も、反りの無い切妻屋根に千木と堅魚木を置き、内部を二室に分け、妻側に入り口を設けた住吉造と呼ばれる独自の形式をしている。
合わせて住吉三神と呼ばれる第一殿の底筒男命(そこつつのおのみこと)・第二殿の中筒男命(なかつつのおのみこと)・第三殿の表筒男命(うわつつのおのみこと)は伊邪那岐尊が黄泉国で受けた穢れを清めるため川で禊を行った際、流れ落ちた穢れから生まれたと記紀に記されている神であり、第四殿には仲哀天皇の皇后である神功皇后=息長帯比売命(おきながたらしひめ)が祀られている。
伊勢神宮などと同じく一定の期間ごとに社殿を造り替える式年遷宮の制がとらているが、現在は全面的な建て替えは行われていない。いずれも国宝に指定。

石舞台

舞楽を行うための舞台。
慶長年間(1596年~1615年)に豊臣秀吉が奉納したものであり、厳島神社、四天王寺の舞台と共に日本三舞台のひとつとされている。重要文化財に指定。

大海神社

住吉大社の摂社のひとつで、豊玉彦命(とよたまひこ)と豊玉姫命(とよたまひめ)を祀る。
祭神は浦島太郎の話のもといわれる記紀神話の「山幸彦と海幸彦」の話に登場する海の神とその娘であり、社殿の前には山幸彦が綿津見神宮(海の神の宮殿)から持ち帰った潮盈珠を沈めたという玉の井がある。

船玉神社

摂社のひとつで、天鳥船命(あめのとりふね)と猿田彦神(さるたひこ)を祀る。
天鳥船は記紀神話に登場する空飛ぶ神(あるいは乗り物)で、その関係からか航空の神としても信仰されている。

志賀神社

摂社のひとつで、伊邪那岐尊が禊を行った際に住吉三神と共に誕生した底津少童命(そこつわだつみのみこと)・中津少童命(なかつわだつみのみこと)・表津少童命(うわつわだつみのみこと)を祀る。

侍者神社

末社のひとつで、住吉大社初代の神主である田裳見宿禰とその妻市姫命を祀る。
縁結び・夫婦円満などにご利益があるとして信仰を集めている。

住吉灯籠

境内には大阪や堺をはじめとした全国の商人から奉納されたという住吉灯籠約600基が立ち並ぶ。
また住吉公園近くには、かつて大阪湾を航行する船を導いた日本最古の灯台である住吉高燈籠(現存するのは復元されたもの)がある。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「住吉大社」、②「神光照海」、③「大海神社」、④「船玉神社」、⑤「若宮八幡宮」、⑥「侍者社」、⑦「種貸社」、⑧「浅澤社」、⑨「大歳社」、⑩「楠珺社」。
入手場所 全て境内奥の社務所で貰えます。⑩は現地でも貰えるようです。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 うさぎが描かれた御朱印帳などがある。
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歴史

イザナミは火の神カグツチを産んだ際に負った火傷が原因で死に黄泉国へ行ってしまう。寂しくなったイザナギはイザナミに会いに黄泉国へ出かけるがそこにいたイザナミは朽ち果てた姿であり、驚いたイザナギは地上に逃げて帰った。地上に戻ったイザナギは黄泉の穢れを清めるため筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原で禊を行い、この時住吉三神が生まれた。
その後、夫である仲哀天皇が熊襲討伐中に急死したため代わりに指導者となった神功皇后のもとに住吉三神が現れ、新羅を攻めるように告げた。皇后は妊娠中だったが、腹に石を当て出産を抑えながら海を渡り、新羅を服属させ高句麗・百済も朝貢を誓った(三韓征伐)。
朝鮮半島から戻り大阪湾にさしかかった時、再び住吉三神が現れ、自分たちを祀るように告げたので田裳見宿禰に命じて現在地に祀らせたのが住吉大社の始まりとされ、やがて神功皇后自身も祭神となった。
史料上確認できる最古の記事は「日本書紀」の朱鳥元年(686年)条であり、天平年間(729年~748年)に従三位、784年(延暦三年)に従二位、806年(大同元年)に従一位の神階を授けられている。またその後正一位を贈られたとされ、二十二社の一社にも列せられている。
お祓いの神、海の神、航海安全の神、和歌の神として貴族・皇族から信仰を集め、遣唐使が出発する際には当社で安全祈願を行うのが習わしとなっていた。
また、968年(安和元年)には多田源氏の祖である源満仲が参籠して神託を受け、源頼朝は1195年(建久六年)に神馬を奉納するなど武家からも崇敬された。
南北朝時代には、南朝方の拠点のひとつとなり、後村上天皇の行宮が置かれ長慶天皇はここで即位している。
南朝が弱体化すると室町幕府の圧力を受け、1493年(明応二年)には守護大名間の争いに巻き込まれて細川政元の家臣である上原元秀に焼き払われている。
豊臣秀吉は1594年(文禄三年)に神領を2700石と定め、江戸幕府もこれをほぼ引き継いだ。
近代社格制度のもとでは官幣大社に列され、現在は神社本庁の別表神社となっている。

 
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