池上本門寺

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基本情報

知名度 ★★★★
平均評価


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種類 寺院(日蓮宗)
アクセス 東急池上線池上駅から徒歩10分。都営浅草線西馬込駅から徒歩15分。JR京浜東北線大森駅・蒲田駅から東急バス本門寺前下車、徒歩10分。有料駐車場あり。
概要 東京都大田区池上にある日蓮宗の寺院で正式には長栄山大国院本門寺という。
病気療養のため身延山から常陸国の温泉に向かった日蓮は途中で病状が悪化したため武蔵国池上郷に住む熱心な信者・池上宗仲の館に滞在しそのまま亡くなった。
その後、池上宗仲の寄進によって創建されたのが池上本門寺であり、現在も広大な敷地に多数の建物が建ち並び、10月11日~13日かけて行われるお会式法要のお祭りには毎年大勢の人が押し寄せる。
主な行事には、初詣(1月1~6日)、節分・豆まき(2月3日)、日蓮聖人降誕会(2月16日)、春まつり(4月第1土・日曜日)、マラソン(4月日曜日)、伊豆法難会(5月12日)みたま祭(8月4、5日)、龍口法難会(9月12日)、お会式(10月11-13日)、除夜の鐘(12月31日)がある。→御朱印の入手法
見どころ 此経難持坂仁王門大堂経蔵五重塔力道山の墓霊宝館梵鐘多宝塔本殿松涛園
拝観時間 境内は24時間入門可能
拝観料 境内自由(霊宝殿は大人300円、子供200円)
サイト http://honmonji.jp/
住所 東京都大田区池上1-1-1

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池上本門寺の見どころ

此経難持坂

寛永の三筆の一人に数えられた書家・阿弥光悦による「本門寺」と書かれた扁額を掲げる総門(現在総門にあるのはレプリカで本物は霊宝殿に収蔵)の奥に続く石段は此経難持坂(しきょうなんじざか)と名付けられている。
戦国時代の武将加藤清正(1562~1611年)の寄進でつくられたと伝えられ、段数は「法華蓮華経」見宝塔品第十一の偈文(詩の形式で教理を説いた文)96文字に因み96段あるという。

仁王門(三門)

坂を登り切ったところに位置する入母屋造本瓦葺の重層門。
旧三門は第二代将軍徳川秀忠の寄進で1608年(慶長十三年)に建てられたもので国宝にも指定されていたが1945年(昭和二十年)に空襲で焼け、現存するのは1977年(昭和五十二年)の再建。
左右にはかつてプロレスラーのアントニオ猪木をモデルに造られた仁王像を安置していたが修理を機に本殿に移され、現在は原田佳美氏による別の像が納められている。付近には桜の木が多く植えられ、春には花見も楽しめる。

大堂(祖師堂)

仁王門の正面に位置する正面15間、奥行16間、本瓦葺入母屋造の巨大な建物。
1606年(慶長十一年)、加藤清正が母の七回忌追善供養のた建立したのが始まりだが、その建物は1619年(元和五年)に燃え、1723年(享保八年)に第8代将軍吉宗公の寄進で再建された旧本堂も1945年(昭和二十年)の空襲で焼失し、現存するのは1964年(昭和三十九年)の建立。
内陣中央には室町時代の作とされる日蓮上人座像(重文)や日輪聖人坐像、日朗聖人坐像を安置し、外陣の天井には日本画家で俳人の川端龍子(1885-1966年)による龍図が描かれている。
この龍図は作者が製作中に亡くなったため未完成の状態であるが、日本画家の奥村土牛によって眼が描き込まれ、龍子の遺品として展示されている。

経蔵

本堂横に位置する三間四方、瓦棒銅板葺宝形造の建物。
1784年(天明四年)に再建されたものが大戦中の空襲でも焼けずに残り、大田区の指定有形文化財となっている。

五重塔

二代将軍徳川秀忠が幼少時に病掛かった際に法華信者であった乳母の岡部局(大姥局)が本門寺で祈願して無事回復したという縁から1607年(慶長十二年)に秀忠の寄進で建立。
関東では最古の塔であり、国の重要文化財に指定されている。高さ約29m(総高31m)。

力道山の墓

力道山(1924―1963年)は朝鮮出身の力士で、戦後プロレスラーに転身して国民的スターとなったが1963年(昭和三十八年)、赤坂のナイトクラブニューラテンクォーターで住吉会系の暴力団組員に刺され、後日死亡した。
五重塔近くには力道山の墓があり、彼を称える石碑や胸像も立てられている。
本門寺には他にも有名人の墓が多く、幸田露伴(文学者)、市川雷蔵(歌舞伎役者)、大野伴睦(政治家)などが葬られている。

霊宝殿

池上本門寺に伝わる寺宝の数々を収蔵、展示するための施設。
主な収蔵品には日蓮筆の「兄弟抄」(重文)、日蓮筆「妙法尼御前御消息」(東京都指定有形文化財)、日蓮持物「妙法蓮華経」、日朗聖人坐像など代々寺に伝わってきたものや法華経研究者で立正大学教授を務めた兜木正亨氏から寄贈された1000点を超える兜コレクションがある。
開館日は日曜のみで、開館時間10時~16時、拝観料大人300円、子供200円。展示内容は定期的に入れ替わる。

梵鐘

加藤清正の娘である瑤林院(紀伊和歌山藩主徳川頼宣夫人)の寄進で1647年(正保四年)に鋳造され、1714年(正徳四年)に改鋳されたもの。
第二次大戦中の空襲で亀裂と歪みが生じたため現在は鐘楼堂の傍らに置かれている。

多宝塔

日蓮聖人が荼毘にふされたと伝えられる場所に建つ塔。
現存する建物は1828年(文政十一年)の建立で、1851年(嘉永四年)、1853年(同六年)に修理されている。
外面は鮮やかな朱色に塗られ豪華絢爛な彫刻が施され、金箔の貼られた塔内にはミニチュアの宝塔があり内部に日蓮持物の水晶念珠を納める。国の重要文化財に指定。

本殿

境内奥部に位置する簡素な建物で、1969年(昭和四十四年)の再建。
内部にはインドのネルー首相から寄贈された仏舎利(釈迦の遺骨)を納めた本尊釈迦如来像や上行菩薩像、浄行菩薩像、無辺行菩薩像などを安置する。
また仁王門に安置されていた例のアントニオ猪木をモデルとした彫刻家圓鍔勝三氏による仁王像(モデルといっても肉体のモデルで顔が似ているわけではない)も納められている。
本殿の背後には日蓮聖人の遺灰を祀る御廟所が建つ。

松涛園

境内最奥部に位置する庭園で、備中松山藩藩主・近江小室藩藩主を務めた大名であり茶人や作庭家として有名な小堀遠州(1579-1647年)の造園と伝えられる。
1868年(明治元年)に西郷隆盛と勝海舟が江戸城無血開城の会見を行った場所であり、西郷隆盛の弟従道による両雄会見碑などが残されている。普段は非公開だが、毎年9月上旬に一般公開される。東京都の史跡指定されている。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「妙法」の御朱印、②「南無妙法蓮華経」の御首題。
入手場所 大堂・総合案内所
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 なし。
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歴史

日蓮宗の開祖である日蓮は、安房国で生まれ天台宗を学んだ後、独自の布教活動を開始し他宗派を激しく攻撃したため幕府に捕らえられ流刑となったが後に赦されて身延山に隠棲し弟子の教育に当たった。
1282年(弘安五年)、病気療養のため身延山を離れて常陸国に向かった日蓮だが、途中で病状が悪化したため武蔵国池上郷の熱心な信徒・池上宗仲の館に滞在し、そこで亡くなった。
日蓮の没後、池上宗仲は法華経の文字数に因み6万9384坪の土地を寄進し寺を建て、日蓮が命名に従って長栄山本門寺と号したことで池上本門寺の始まりとなる。
その後、加藤清正や紀伊徳川家などの保護を得て栄えたが、不受不施派(信徒以外に施しはせず、受けないという考えの一派)の拠点となっていたため本山の身延山久遠寺と対立するところとなり、1630年(寛永七年)本門寺16世の日樹は幕府の決定により流罪となった。
1945年(昭和二十年)、米軍機による空襲に遭って五重塔・総門・経蔵・宝塔を除くほとんどの建物は焼失したが、その後復興され現在にいたる。
また1309年(延慶二)に日朗が日輪に本門寺と鎌倉比企谷妙本寺を譲ってから1941年(昭和十六年)までは両寺一主制が取られていた。

 
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