皇居

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基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


0

種類 史跡・皇室関連施設
アクセス 桔梗門→東京メトロ千代田線二重橋前駅(6番出口)から徒歩6分。東京メトロ・都営地下鉄大手町駅から徒歩7分。JR東京駅(丸の内中央口)から徒歩11分。坂下門→東京メトロ千代田線二重橋前駅(6番出口)から徒歩7分。JR東京駅(丸の内中央口)から徒歩12分。東京メトロ・都営地下鉄大手町駅から徒歩8分。大手門→東京メトロ・都営地下鉄大手町駅(C13b出口)から徒歩3分。東京メトロ千代田線二重橋前駅(6番出口)から徒歩8分。JR東京駅(丸の内北口)から徒歩10分。専用の駐車場はないので周辺の駐車場を利用。
概要 皇居は東京都千代田区にある皇室関連施設。
太田道灌が1457年(康正三年)に築城し江戸幕府の中心となった江戸城の跡であり、1869年(明治二年)に天皇が東京に遷ってから皇居として使われるようになった。
宮城、御所、吹上御苑、東御苑、皇居外苑などからなり、一部のエリアは解放されていて散策することができる。
東京の中心にありながら広大な自然が残されており、梅、桜、ツツジ、ヤマブキ、ハナショウブ、ハス、ヒガンバナ、モミジなどの植物や多くの昆虫類、野鳥を観察することができ、周りではランニングをする人が絶えないなど都民憩いの場となっている。
見どころ 皇居外苑東御苑三の丸尚蔵館北の丸公園乾通り宮殿
拝観時間 一般参観は10時~、13時30分~の1日2回(所要時間約1時間15分)。土日曜、祝休日、7月21日から8月31日までの午後、年末年始(12月28日~1月4日)は休み。
拝観料 無料。一般参観はインターネットや電話で希望日の7日前までに事前申し込みする必要あり。
サイト http://www.kunaicho.go.jp/
住所 東京都千代田区1-1

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見学・一般公開まとめ

  • 皇居外苑・北の丸公園  →24時間自由に入れる。
  • 東御苑  →受付で入園票を貰えば予約なしで自由に見て回れる(開園時間は季節により変動)。
  • 乾通り  →春と秋の一定期間のみ一般公開される。10時~15時。
  • 一般参賀  →天皇誕生日(12月23日)と新年(1月2日)のみ。天皇のお言葉とお出ましがある。予約不要。
  • 一般参観  →桔梗門から入り一定のコースを案内人付きで見て回る形式。宮殿東庭に入れる。事前申し込みが必要で18歳未満のみでの参観は不可。

皇居の見どころ

皇居外苑

宮殿の正面に位置するエリアの事で、公園として24時間開放されており誰でも自由に出入りできる。
もともとは皇室の庭園であったが1949年(昭和二十四年)に公園として開放。桜田門外の変で知られる桜田門や宮殿へ向かって架かる二重橋、南朝方の武将楠木正成の銅像が有名。

東御苑

皇居の東側に位置する広さ約21ヘクタールの庭園。
かつて江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部だった場所で、1968(昭和四十三年)から一般に公開されるようになった。
根来組・伊賀組・甲賀組・廿五騎組が交代で詰めた百人番所、1657年(明暦三年)の明暦の大火後に再建された富士見櫓、天守台、浅野内匠頭が吉良上野介を切りつけた松の廊下跡など江戸城の遺構が残り、梅、ショウブ、ヒガンバナ、サツキ、紅葉など植物も楽しめる。
入場料は無料で事前申し込みは不要だが各入り口で手続きして入園票を受け取る必要がある。月曜日・金曜日(休祝日除く)と年末年始(12月8日~1月3日)以外公開。
3月1日-4月14日・9月1日~10月31日→9時~16時30分、4月15日-8月31日→9時~17時、1月1日-2月末日→9時~16時(いずれも入園は閉園時間30分前まで)。

三の丸尚蔵館

皇居東御苑内にある建物で、皇室に代々伝わってきた美術品などを収蔵、展示する。
主な収蔵品には、蒙古襲来絵詞、春日権現験記絵巻、小野道風筆「屏風土代」、王羲之筆「喪乱帖」、本阿弥切本古今和歌集、金沢本万葉集 などがある。
入場は無料、月曜日・金曜日(休祝日除く)・年末年始(12月8日~1月3日)休館。

北の丸公園

皇居の北側に位置する公園で江戸城北の丸の跡地であるためこの名がついた。
24時間自由に出入りでき、散歩やウォーキング、ジョギングを楽しむ人が多い。また桜の名所として有名であり、秋には紅葉も美しい。また敷地内には日本武道館、東京国立近代美術館、科学技術館がある。

乾通り

宮内庁前から乾門へと続く通りの事で、桜・紅葉の名所として知られている。
普段は非公開だが春(3月末~4月初旬)と秋(12月初旬)の一定期間一般公開される。公開時は非常に混雑することがあるので注意。

宮殿

天皇陛下が公務を行うための建物で、正殿・豊明殿・長和殿・連翠などから成る。
明治期に建てられた宮殿は1945年(昭和二十年)に空襲からの飛び火で焼失し、現在の建物は吉村順三の基本設計で1968年(昭和四十三年)に完成。
長和殿は天皇誕生日と新年に行われる一般参賀の際に天皇皇后両陛下や皇族がお出ましになる細長いテラスを持った建物であり、一般参観でも外から眺めることができる。

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歴史

当地には元々鎌倉幕府の御家人だった江戸氏の居館があったといわれ、扇谷上杉家の家臣太田道灌は享徳の乱に対応するため1456年(康正二年)、ここに江戸城を築城した。
道灌が1486年(文明十八年)に主君である上杉定正に殺害された後、江戸城は上杉氏の手に渡ったが、上杉氏は1524年(大永四年)に後北条氏の北条氏綱に敗れ、更に1590年(天正十八年)、後北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされ江戸城は秀吉の手に渡った。
秀吉は後北条氏の領地だった関八州(相模・武蔵・安房・上総・下総・常陸・上野・下野)を徳川家康に元々の領地だった駿河などと引き換えに与え、家康は同年8月江戸入りを果たした。
この頃江戸城はすっかり荒れ果てていたが、家康はここを拠点と定め改築工事が進められた。
しかし、本格的な造営が行われるのは1600年(慶長五年)の関ケ原の戦いに勝利した後で、1603年(慶長八年)から天下普請として各地の大名を動員して大規模な工事が進められ、1606年(慶長十一年)には本丸御殿が完成したが、全ての工事が終了したのは1636年(寛永十三年)のことだった。1657年(明暦三年)には明暦の大火(振袖火事)で天守閣など多くを焼き、天守閣はその後も再建されなかった。
江戸幕府が倒れ明治時代になると江戸城は皇居として使われることが決まり、皇城(その前は東京城)と称された。
1869年(明治二年)、明治天皇は西の丸御殿に入ったが1873年(明治六年)に火災で西の丸御殿が全焼し、天皇は赤坂離宮に移った。西の丸跡には新たに宮殿を建設することが決まり、1888年(明治二十一年)に明治宮殿が完成。
周辺施設も整えられたが関東大震災や第二次大戦中の空襲で損害を受け、現在の宮殿は1968年(昭和四十三年)の再建。名称は1948年(昭和二十三年)に皇城から皇居の改められている。

 
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