松代城跡

松代城城内マップ

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基本情報

知名度 ★★★
平均評価


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種類 史跡
アクセス 長野駅から松代行バスで「松代駅」下車、徒歩5分。駐車場あり。
概要 松代城(海津城)は現在の長野県長野市にかつて存在した城。
戦国時代に武田氏が築城したのがはじまりで、江戸時代には松代藩の藩庁として使用されたが、維新後廃城となり、ほとんどは取り壊された。
現在は、2004年(平成十六年)に復元された櫓門、石垣、土塁などがあり、桜の名所としても知られる。日本100名城のひとつ。
見どころ 太鼓門本丸跡戌亥隅櫓台
拝観時間 9時~17時
拝観料 境内自由
サイト http://www.sanadahoumotsukan.com/
住所 長野県長野市松代町

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松代城跡の見どころ

太鼓門

城跡の入口に建つ門。
本丸内で一番大きな門であったといい、横木には12メートルのケヤキが使用されている。2004年(平成十六年)の再建。

本丸跡

本丸にはかつて、政務の場で藩主の住居でもある本丸御殿などが置かれていたが、現在、江戸時代から残るものは石垣のみとなっている。

戌亥隅櫓台(天守台)

松代城には天守閣があったとみられ、天守台が残されているが、建物は比較的早い時期に失われていたようで、天守がどのような構造であったのかはわかっていない。

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歴史

正確な築城年代は不明だが、1560年(永禄三年)頃、武田信玄が長尾景虎(上杉謙信)との川中島での合戦に備えて家臣の山本勘助に築かせたものとも伝えられる。
武田氏滅亡後は織田信長の家臣である森長可の城となったが、本能寺の変の際に長可は松代城を放棄したため信濃に侵入した上杉氏の城となり、1598年(慶長三年)に上杉景勝が会津に転封となった後は、豊臣秀吉の直轄地となり、田丸直昌が城主として派遣された。
関ヶ原の戦いの後、直昌に代わり森忠政が入城し、1603年(慶長八年)に松平忠輝、1616年(元和二年)に松平忠昌、1619年(元和五年)に酒井忠勝と頻繁に城主が交代したが、1622年(元和八年)に真田信之が入城した後は真田氏が城主を世襲し、松代藩の藩庁として明治維新まで使用された。
1872年(明治五年)に廃城となり、翌年火災に遭ってほとんどの建物は失われた。

 
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