叡福寺

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基本情報

知名度
平均評価


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種類 寺院(真言宗)
アクセス 近鉄長野線喜志駅から上之太子行バスで「太子前」下車すぐ。近鉄南大阪線上ノ太子駅から喜志駅行バスで「太子前」下車すぐ。駐車場あり。
概要 叡福寺は大阪府南河内郡太子町にある真言宗系の単立寺院。
寺伝によれば、聖徳太子は生前当地を墓所と定め、621年(推古天皇二十年)に太子の母である穴穂部間人皇女亡くなるとここに葬られ、翌年没した太子とその妃・膳部菩岐々美郎女も追葬されたといい、推古天皇によって墓を守護するためのお堂が建てられたのが寺の始まりとされる。
その後、724年(神亀元年)に聖武天皇によって東院・西院からなる壮大な伽藍が造営され、東院を転法輪寺、西院を叡福寺と称するようになったという。
平安時代以降太子信仰が盛んになると聖徳太子の墓所として信仰を集めるようになったが、1574年(天正二年)に織田信長軍の兵火にかかって焼失し、その後豊臣秀頼の支援で復興されて現在のような形態となった。
八尾市の下の太子(大聖勝軍寺)、羽曳野市の中の太子(野中寺)に対して「上の太子」よ呼ばれ、河内三太子のひとつに数えられている。
見どころ 多宝塔金堂聖霊殿宝蔵聖徳太子廟
拝観時間 9時~17時
拝観料 境内自由。宝蔵拝観は大人200円、小学生100円。
サイト なし
住所 大阪府南河内郡太子町太子2146

叡福寺の見どころ

多宝塔

1652年(承応元年)に江戸の信徒の寄進で再建されたもので、国の重要文化財に指定されている。内部には釈迦三尊像、大日如来像を安置し、柱には四天王像が描かれている。

金堂

現存の建物は1732年(享保十七年)の再建。
堂内には鞍作鳥(止利仏師)の作と伝えられる本尊の聖如意輪観世音菩薩像や弘法大師作と伝えられる不動明王像、愛染明王像を安置する。

聖霊殿(太子堂)

建物は豊臣秀頼の支援で1603年(慶長八年)に再建されたもで、重要文化財に指定されている。
堂内には1187年(文治三年)に後鳥羽天皇が行幸した際、下賜されたものと伝えられる16歳の時の姿を刻んだ聖徳太子像を安置する。

宝蔵(宝物館)

叡福寺に伝わる文化財を収蔵、展示する施設。毎週月曜日(祝日の場合開館)と冬季(12月-2月)は閉館となるので注意。

聖徳太子廟

境内背後の円墳(叡福寺北古墳)は聖徳太子の墓と伝えられ、内部の横穴式石室には、太子、穴穂部間人皇女(太子の母)、膳部菩岐々美郎女(太子の妃)のものとされる3基の棺があったといわれる。

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御朱印・御朱印帳

種類 ①聖徳太子霊跡第六番「上之太子」の御朱印、②河内西国三十三箇所第二十一番「聖霊殿」の御朱印、③新西国三十三箇所客番「聖徳廟」の御朱印、④仏塔古寺十八尊第二番「釈迦如来」の御朱印、⑤御詠歌の御朱印。
貰える場所 境内寺務所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 ないようです。

 
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