三木城跡

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基本情報

知名度
平均評価


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種類 史跡
アクセス 神戸電鉄粟生線三木上の丸駅から徒歩5分。駐車場あり。
概要 三木城は兵庫県三木市上の丸町にかつて存在した平山城。
築城の事情ははっきりしないが、15世紀末に播磨守護赤松政則の守護代・別所則治によって築かれたものとされ、その子孫に引き継がれていった。
1577年(天正五年)、織田信長配下の羽柴秀吉軍が播磨国に侵攻すると別所長治はこれに恭順して毛利氏攻めに加わることを約束したが、翌年反旗を翻しため織田勢との間で戦闘が起こり、城を包囲されて「三木の干殺し」と呼ばれることになる厳しい兵糧攻めが行われた。
1580年(天正八年)、兵糧の搬入手段を完全に断たれた城内では餓死者が続出し、長治一族は自害して城は信長の手に渡った。
その後三木城には中川秀政が入り、その弟秀成が1594年(文禄三年)に転封となった後は豊臣氏の直轄地となったが、関ヶ原の戦いの後、姫路藩の城となった。
姫路藩の藩庁は姫路城に置かれていたため1615年(元和元年)に一国一城令がだされると支城の三木城は破棄され、以後使われることはなかった。
見どころ 別所長治辞世の句碑、空堀跡
拝観時間 24時間
拝観料 無料
サイト なし
住所 兵庫県三木市上の丸町

 
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