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基本情報
知名度 | ★★ |
平均評価 | |
種類 | 寺院(真言律宗) |
アクセス | JR・近鉄奈良駅から奈良交通バス青山住宅行きで般若寺下車すぐ。駐車場あり。 |
概要 |
般若寺は奈良県奈良市般若寺町にある真言律宗の寺院で「コスモス寺」として知られる。 創建に関する詳細は不明だが、寺伝によれば629年(舒明天皇元年)に高句麗の僧・慧灌が開き、735年(天平七年)、平城京の鬼門鎮護のために聖武天皇の勅願で伽藍が整えられたという。 境内には国宝の楼門や重要文化財の経蔵、十三重石塔、石造笠塔婆などがあり、コスモス以外にも梅・スイセン・アジサイ・ヤマブキなど四季折々の花々を楽しむことができる。 |
見どころ | 楼門、十三石塔、本堂、石造笠塔婆 |
拝観時間 | 9時~17時 |
拝観料 | 大人500円、中高生200円、小学生100円 |
サイト | http://www.hannyaji.com/ |
住所 | 奈良県奈良市般若寺町221 |
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般若寺の見どころ
楼門
旧京街道に面して建つ一間一戸、入母屋造本瓦葺の重層門で、二階部分は三間になっている。
正確な建立年代は不明だが、諸堂が再建された1267年(文永四年)前後だと考えられている。国宝に指定。
十三石塔
境内中心に位置する高さ14.2mの石塔。
1253年(建長五年)頃、宋の石工・伊行末によって建立されたもので、下部には東に薬師。西に阿弥陀、南に釈迦、北に弥勒を刻む。
1946年(昭和三十九年)に行われた解体修理の際には内部から仏像などの納置品が見つかっている。
本堂
建物は1667年(寛文七年)の建立で、内部には本尊の木造文殊菩薩騎獅像を安置する。
本尊は元々経蔵に安置されていた像であり、1324年(元亨四年)、仏師康俊・康成による作。高さ46cm、一木造。
また堂内には、後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王が吉野に逃れる際に隠れたいう唐櫃も納められている。
石造笠塔婆
十三石塔を建てた石工・伊行末の息子である伊行吉が父の追善供養と母の延命を願って1261年(弘長元年)に建立した2基の石造塔婆。高さ4.7m、北塔に阿弥陀三尊、南塔に釈迦三尊の梵字を彫る。
御朱印・御朱印帳
種類 | ①「石塔薬師」、②「妙吉祥」、③「本尊八字文殊菩薩」、④「三世覚母」、⑤「天平薬師佛」(特別公開時限定)、⑥「白鳳弥陀佛」(特別公開時限定)、⑦「本尊八字文殊菩薩」(ぼさつの寺巡り)。 |
入手場所 | 本堂内納経所。 |
値段 | 1件300円(⑦は500円) |
オリジナル御朱印帳 | 石塔とコスモスが描かれた御朱印帳があります。 |
歴史
史料がないため創建の正確な事情は不明だが、629年(舒明天皇元年)に高句麗の僧・慧灌が般若台と号する精舎を開き、735年(天平七年)、平城京の鬼門鎮護のために聖武天皇の勅願で伽藍が整えられたという。正倉院文書の天平十四年(742年)の日付を持つ文章に般若寺うんぬんとあり、境内から奈良時代の瓦が見つかっているのでこの頃に寺が存在していたことは確からしい。
平安時代には多くの学僧が集まり学問寺として栄えたが、1180年(治承四年)に平清衡による南都焼討で焼失。
鎌倉時代初期には荒廃した状態となっていたが、東大寺の僧良恵らによって十三重石塔が完成され、その後入寺した西大寺の叡尊よって本格的に復興された。叡尊は般若寺を拠点として弟子の忍性と共に非人や病人の救済活動を行ったいう。
室町時代には文殊菩薩が信仰を集めたが、1490年(延徳二年)これを焼失し、1567年(永禄十年)には松永久秀と三好三人衆の戦いに巻き込まれて諸堂を焼かれた。
明治のはじめには廃仏毀釈の影響で一時廃寺となったが、その後復活して現在にいたる。
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