鎌倉御霊神社

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基本情報

知名度 ★★
平均評価




4

種類 神社
アクセス 鎌倉駅東口から徒歩30分、江ノ電長谷駅から徒歩5分。→詳細
概要 御霊神社は神奈川県鎌倉市坂ノ下四丁目にある神社で、この地を所領した平安時代後期の武将鎌倉権五郎景政を祀る。
境内には本殿、幣殿、覆殿、神輿庫や石上神社、地主神社、金比羅神社、秋葉社などの末社があり、主な行事には石上神社例祭(7月25日に近い日曜日)、例祭(9月17日・18日、面掛行列が有名)がある。坂ノ下の鎮守で旧村社。
見どころ 本殿秋葉神社石上神社宝蔵庫夫婦銀杏タブノキ弓立の松面掛行列
拝観時間 境内自由。お守り・御朱印は9時~17時。
拝観料 自由(宝蔵庫は100円)
サイト なし
住所 神奈川県鎌倉市坂ノ下4-9

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御霊神社の見どころ

本殿

石段を上ったところに位置する建物で、鎌倉権五郎景政を祀る。鎌倉権五郎景政(平景政)は平安時代後期の武士で、父の代から鎌倉を領地としていたため鎌倉氏を名乗った人物。その武勇で知られる人でもあり、源義家の陣営で戦った後三年合戦では敵に目を射られたままで敵をなぎ倒し、刺さった矢を抜こうと顔を踏みつけた味方の三浦為継に激怒し跪かせて抜かせたというエピソードが残されている。

秋葉神社

御霊神社の境内社の一つで、火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)を祀る。1889年(明治二十二年)に坂ノ下で大規模な火災が発生した後、防火にご利益のあるという祭神を静岡の秋葉山本宮秋葉神社から勧請したもの。

石上神社

境内社の一つで、巨大な石をご神体としている。この石は神社の前浜沖に沈んでいたものだといい、漁船が度々座礁することから江戸時代末期に切り出して、海上安全の神として祀られるようになった。毎年7月25日前後にはこの石のあった沖合いまで若衆数人が御幣を手に泳ぎ神に捧げる神事が行われる。

宝蔵庫

授与所の奥にある建物で、面掛行列に使われるお面などが展示され、鎌倉江の島七福神のひとり福禄寿の像が安置されている。拝観は有料。

夫婦銀杏

本殿の近くにある樹齢400年ともいわれる2本のイチョウの木。左が雄、右が雌といい、拝めば夫婦円満、家内安全、子宝安産などにご利益があるとされている。

タブノキ

境内に聳えるタブノキの古木は、推定樹齢350年に達し、鎌倉市の天然記念物に指定されている。

弓立の松

鎌倉権五郎景政が領地を見て回る際に弓を立てて置いたと伝えられる松の古木。

面掛行列

毎年9月18日(景政の命日とされる)に開催される例祭の中で行われる行事の事で、翁、鬼、御亀、天狗、火男、異形などのお面を着けた人々が街の中を練り歩く。伝承によれば源頼朝が、極楽寺にいた関東の長吏頭の娘を妊娠させた侘びに非人達に年に一度無礼講を許したのが起源とされ(このため「非人面行列」や「はらみつと」とも呼ばれる)、元々は鶴岡八幡宮の放生会の中で行われてきたが、明治始めの神仏分離の際に御霊神社へと移された。神奈川県の無形民俗文化財に指定されており、またその衣装は鎌倉市の有形民俗文化財に指定されている。御亀(オカメ)は腹に詰め物をして妊婦の姿を模しており、この腹に触れると安産祈願になるという。

御朱印

種類 ①「御霊神社」の御朱印、②鎌倉江の島七福神「福禄寿」の御朱印
入手場所 境内授与所
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 ないと思われます。

歴史

創建年代は不明だが、吾妻鏡には1185年(文治元年)に御霊社が地震のごとく揺れ動き、これを大庭景能が源頼朝に報告して、頼朝が参拝し神楽が行われた事、1194年(建久五年)幕府の使者として八田知家が御霊社と甘縄宮に奉納に参った事などの記述があり、鎌倉時代には成立していたようでうある。
社伝によれば最初は関東平氏の祖霊である鎌倉氏、梶原氏、村岡氏、長尾氏。大庭氏を祀っていたが、やがて鎌倉権五郎景政のみを祀るようになり、名前も五霊から御霊に転じたという。

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アクセス

鎌倉駅から

鎌倉駅東口のローターリーを直進して若宮大路に出て、海岸方面に進む。海岸に突き当たったら右折し134号線を江ノ島方面にあるき坂ノ下の信号機で右折。すぐに星の井通り信号機を左折し次の角を右折。所要時間約25分。

江ノ電長谷駅から

長谷駅前の道路を左折。しばらく直進し力餅家のところを左折すれば到着。所要時間は約5分。

駐車場

近くに駐車場はないので、車の場合は長谷駅周辺のコインパーキングを利用。主なところでは、マイパーキング鎌倉(坂ノ下8-23)が30分200円、長谷観音前第1駐車場(長谷3-11-2)が30分250円。

 
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