犬山城

犬山城城内マップ

[spp]

基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


0

種類 城・史跡
アクセス 名鉄犬山線犬山遊園駅から徒歩15分。駐車場あり。
概要 犬山城は愛知県犬山市にある城で、白帝城とも呼ばれる(その美しさに感動した荻生徂徠が李白の詩にちなんで命名したといわれる)。
1537年(天文六年)、織田信長の叔父にあたる織田信康が近くの木之下城を移して築城したのが始まりで、江戸時代には尾張藩の重臣成瀬氏の居城して使用された。
明治になると廃城になり、多くの建物が取り除かれたが、天守は取り壊されずに済み、1952年(昭和二十七年)には国宝に指定されている。日本100名城のひとつ。
見どころ 天守門天守閣
拝観時間 9時~17時(入場は16時30分まで)
拝観料 一般550円、小中学生110円(団体割引あり)。
サイト http://www.meijimura.com/
住所 愛知県犬山市犬山北古券65-2

[gad]

犬山城の見どころ

天守門

天守閣の正面に位置する門。
かつての門は鋼鉄で覆われ、鉄門と呼ばれていたが、現存する建物は新しい。

天守閣

5メートルの石垣の上に約19メートルの三重天守閣が乗っており、内部は地上四階地下二階となっている。
現存の建物は1537年(天文六年)に建てられた金山城(現岐阜県可児市兼山)の天守を1599年(慶長四年)に移築したものとする説もあったが、昭和期に行われた調査によれば、2階までの部分は1537年(天文六年)に当地で建てられたもので、江戸時代初期に3階、4階が増築したものとされている。現存する日本最古の天守閣であり、極めて貴重。

登城道や天守閣の前には桜の木が多く、春には花見客で賑わう。また秋には紅葉も楽しめる。

広告

歴史

1469年(文明元年)、管領斯波義郷の家臣で、尾張国守護代織田敏広の弟である織田広近が美濃の斎藤氏に備えて築城した木ノ下城(現犬山市犬山愛宕)が始まりとされ、1537年(天文六年)、敏広の子孫にあたる織田信康(信長の叔父)がこれを現在地へ移し、犬山城を築城したといわれている。
1544年(天文十三年)、信康は斎藤道三との戦いで敗死し、四男の信清が城主となったが、勢力を伸ばした織田信長と対立するようになり、1564年(永禄七年)、信長軍に攻められて甲斐に敗走した。
信長は、はじめ柘植与一を入れたが、1570年(元亀元年)には姉川の戦いで活躍した池田恒興に交代させ、恒興が尼崎へ移った後は、恒興の娘婿で信長の信長の五男である織田勝長が城主となった。
勝長は1582年(天正十年)の本能寺の変で討死にし、信長の跡を継いだ織田信雄は家臣の中川定成を城主としたが、1584年(天正十二年)の小牧・長久手の戦い(信雄+徳川家康VS豊臣秀吉)の際、大垣城主となっていた池田恒興が裏切って奇襲をかけ、定成は戦死して城も奪われた。
信雄と秀吉の間で講和が成立すると犬山城は返却されたが、1590年(天正十八年)に信雄が改易されると尾張国は豊臣秀次は与えられ、秀次の実父三好吉房が城代となった。
1596年(文禄四年)に秀次が秀吉によって切腹させられた後には、石川貞清が城主となったが、貞清は関ケ原の戦いで西軍に属したため、1601年(慶長六年)に小笠原吉次と交代した。
その後一時城主不在となったが、1617年(元和三年)に成瀬正成が城主となって以降は幕末まで尾張藩附家老の成瀬氏が城主を世襲した(犬山藩とも呼ばれるが世式な藩ではない)。
維新後廃城となり、多くが取り壊されたが、天守は残され、1891年(明治二十四年)の濃尾大地震で被害を受けたのを機に、修復を条件に旧城主の成瀬家に無償譲渡された。
近年まで成瀬家が個人所有していたが、現在は財団法人犬山城白帝文庫が管理している。

 
[gad45]

広告