清洲城跡

清州城跡城内マップ

[spp]

基本情報

知名度 ★★★
平均評価


0

種類 史跡
アクセス JR東海道本線清洲駅から徒歩17分。名鉄名古屋本線新清洲駅から徒歩15分。無料駐車場あり。
概要 清州城は現在の愛知県清須市にかつて存在した城。
1405年(応永十二年)、管領斯波義重が築城したのが始まりで、戦国時代後期に織田信長の城となり、江戸時代初めには清州藩の政庁が置かれたが、名古屋城の築城に伴って廃城。
その後の開発によって遺構はほとんどのこっておらず、敷地も東海道本線によって清洲公園、清洲古城跡公園などに分断された形となっている。
見どころ 大手橋天守閣石垣
拝観時間 天守閣内部は9時~16時30分(入館は16時15分まで)。月曜日(休日の場合翌日)、年末休館。
拝観料 天守閣内部は大人300円、小人150円。
サイト http://www.city.kiyosu.aichi.jp/
住所 愛知県清須市

[gad]

清洲城跡の見どころ

大手橋

天守閣手前の五条川に架かる橋。手すりなどが鮮やかな朱色に塗られており、清須市のシンボルとなっている。

天守閣

現存の建物は1989年(平成元年)に再建されたもの。古図などが残されていないため、当時の清州城の外観を正確に再現したものではない。
内部は資料館となっており、清州城の歴史や戦国武将に関する展示がなされている。

石垣

清洲古城跡公園には五条川の護岸工事の際に発見された石垣を復元したものがある。

広告

歴史

1405年(応永十二年)に尾張国守護で室町幕府の管領だった斯波義重が築城したのが始まりといわれ、1476年(文明八年)に守護の居城となっていた下津城が守護代織田氏の内部争いから焼失すると守護所が移され、尾張国の中心となった。
その後、守護代として力を伸ばした清洲織田氏の居城となり、1555年(弘治元年)には織田信長によって城主織田信友が殺害され、信長の城となった。
信長は那古野城から清州城に本拠を移して整備を進め、1560年(永禄三年)の桶狭間の戦いへはここから出撃し、1562年(永禄五年)には徳川家康との同盟がここで結ばれた。(清州同盟)。
1563年(永禄六年)に小牧山城に本拠を移した後は、家臣が城代として管理する城となったが、1582年(天正十年)の本能寺の変で信長が死ぬとその遺産の相続を巡る会議がここで開かれ(清州会議)、清州城は信長の次男・織田信雄のものとなった。
1590年(天正十八年)の小田原攻めの後、信雄が豊臣秀吉によって改易させられると秀吉の家臣・福島正則が城主となり、関ヶ原の戦い後には家康の四男松平忠吉に変わったが、忠吉が死ぬと家康九男である徳川義直が入り、尾張清洲藩の藩庁として使われるようになった。
しかし、1609年(慶長十四年)、家康の命により新たに名古屋に城を築くことが決まると清州城は廃城となり、その資材は名古屋城の築城に利用された。

 
[gad45]

広告