野間大坊

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基本情報

知名度
平均評価


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種類 寺院(真言宗)
アクセス 名鉄知多線野間駅から徒歩10分。駐車場あり。
概要 野間大坊は愛知県知多郡美浜町にある真言宗豊山派の寺院で、正式には鶴林山無量寿院大御堂寺という。
正確な創建の事情は不明だが、寺伝によれば天武天皇の治世(673-86年)に役小角が創建した阿弥陀寺が前身といい、平安時代初期に空海が訪れて真言宗の寺となり、承暦年間(1077年-81年)に白河天皇の勅願寺となり大御堂寺と称されるようになったという。
平治の乱に敗れ尾張国に逃れた源義朝が当地で謀殺されると境内に墓が造られ、後に義朝の子である鎌倉幕府初代将軍源頼朝の寄進で伽藍が整えられたと伝えられる。
その後、織田氏や豊臣秀吉の保護を受け、江戸時代には尾張藩徳川家の帰依を受けて栄えた。
見どころ 大門血の池鐘楼堂本堂源義朝公御廟悠紀殿客殿
拝観時間 8時~16時30分、
拝観料 境内自由
サイト http://nomadaibou.jp/
住所 愛知県知多郡美浜町大字野間字東畠ケ50

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野間大坊の見どころ

大門

境内入口に建つ簡素な門。1190年(建久元年)に源頼朝の寄進で建てられたものと伝えられる。

血の池

境内入口付近にある小さな池のことで、当地で殺害された源義朝の首を洗った場所と伝えられる。国家に一大事があると池の水が赤く染まるという伝説がある。

鐘楼堂

大門入って左側に位置する建物で、上層には鎌倉五代将軍藤原頼嗣の寄進と伝えられ、建長二年(1250年)の銘を持つ梵鐘(重要文化財)が吊るされている。

本堂

現存の建物は1754年(宝暦四年)の再建とされ、堂内には快慶の作ともされる本尊阿弥陀三尊像を祀る。

源義朝公御廟

源義朝の墓と伝えられる宝篋印塔。
義朝は河内源氏の棟梁で、保元の乱で戦功をたてたが、平治の乱では藤原信頼方について敗れ、逃れて辿り着いた尾張国野間で長田忠致に裏切られて殺された。
この墓は義朝の墓が荒れ放題になっていたことを哀れんだ尾張守平康頼によって整備されたものともいわれ、義朝が死の間際に「我に木太刀の一本でもあれば」と叫んだとされるエピソードにちなんで多数の木刀が奉納されている。

悠紀殿

昭和天皇の即位の儀式の際に京都御所内に建てられた建物を1929年(昭和四年)に移築したもの。殿内には大日如来像を安置する。

客殿

秀吉が建てた伏見城の遺構を江戸時代の寛永年間(1624-43年)に移築したものと伝えられる。知県重要文化財。

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御朱印・御朱印帳

種類 ①「地蔵尊」の御朱印、②「無量寿佛」の御朱印、③「不動明王」の御朱印、④「大黒尊天」の御朱印
貰える場所 堂内朱印所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 兜が描かれた御朱印帳があります。サイズ16×11㎝、値段1000円。

 
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