岡崎城跡

岡崎城城内マップ

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基本情報

知名度 ★★★★
平均評価


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種類 史跡
アクセス 名鉄名古屋本線岡崎公園前駅から徒歩10分。愛知環状鉄道線中岡崎駅から徒歩11分。駐車場あり(乗用車100円/30分)。
概要 岡崎城は愛知県岡崎市康生町にかつて存在した城。
室町時代後期に三河国守護代・西郷稠頼が築いたのが始まりで、後に松平氏の城となり、江戸時代には岡崎藩の政庁として使われた。
徳川家康は松平広忠の子としてこの城で生まれ、浜松、駿府、江戸へと移った後も、岡崎城には信頼の厚い古くからの家臣が置かれた。
明治初期に廃城となり、当時の建物は残っていない。一帯は岡崎公園となっており、桜や紅葉の名所としても知られる。
見どころ 大手門清海堀三河武士のやかた家康館からくり時計二の丸能楽堂天守閣龍城神社東隅櫓浄瑠璃姫の墓
拝観時間 公園内自由。天守閣・三河武士のやかた家康館は9時~17時(入場は16時30分まで)。
拝観料 岡崎城→一般200円、小人100円、三河武士のやかた家康館→一般360円、小人200円、共通券→大人510円、小人270円。
サイト https://okazaki-kanko.jp/okazaki-park
住所 愛知県岡崎市康生町

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岡崎城跡の見どころ

大手門

岡崎城の正門に当たる門。
現存の建物は1993年(平成五年)の再建で、江戸時代に大手門があった位置とは違うという。

清海堀

大手門近くにある堀の跡。
岡崎城を築城した西郷稠頼が造らせたものといわれており、清海堀の名は稠頼が出家した際に「清海」と名乗ったことに基づく。

三河武士のやかた家康館

徳川家康が天下を取るまでの軌跡とそれを支えた三河武士をテーマとして資料館。刀剣、甲冑、関連資料などが展示されている。

からくり時計

三河武士のやかた家康館の前にある時計台。
毎時00分と30分に箱が開き、能を舞う徳川家康の姿を見ることができる。

二の丸能楽堂

二ノ丸跡に建つ能楽堂。定期的に能などの古典芸能が上演されるほか、各種催し物にも使用される。

天守閣

現存する天守閣は、1959年(昭和三十四年)の再建。
本多康紀が城主を務めていた元和年間(1816-23年)の天守閣をモデルとしている。内部は歴史資料資料館となっており、岡崎城歴史に関する展示がなされている。

龍城神社

天守閣の近くにある神社。
本丸にあった本多忠勝を祀る映世神社と三の丸にあった家康を祀る東照宮が、1876年(明治九年)の合祀されて誕生。

東隅櫓

駐車場近くに建つ重層櫓のこと。
2010年(平成二十二年)に再建されたもので、1781年(天明元年)に作られた岡崎城絵図を基本資料としつつ、同時代の松山城の野原櫓などを参考に造られているという。

浄瑠璃姫の墓

園内の一角にある宝篋印塔のこと。
浄瑠璃姫は矢作の里の長者の娘で、鞍馬山から東国へ向かう途中の牛若丸(源義経)と恋中になり、再開を約束するが、果たせずに身を投げて死んだとされる中世の物語草子「浄瑠璃物語」の登場人物。

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歴史

1455年(康正元年)に三河国守護仁木義長の守護代・西郷稠頼が築城したのが始まりで、文明年間(1469-86年)には三河の豪族松平氏の城となった。
徳川家康(幼名松平竹千代)は1542年(天文十一年)にこの城で生まれたが、1549年(天文十八年)に父・松平広忠が死ぬと、松平氏は今川氏への従属を強め、家康は人質として駿河へ移され、岡崎城は今川氏の家臣が城代として管理する城となった。
1560年(永禄三年)の桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れて今川氏が弱体化すると、家康は岡崎城に帰り今川氏から独立。三河に勢力を広め戦国大名としての地位を確立した。
1570年(元亀元年)に家康が浜松城に拠点を移した後は、家康の長男信康が城主となったが、信康が武田氏と通じていることを信長に疑われて切腹させられ、その後は家康の家臣が城代として管理する城となった。
1590年(天正十八年)に家康が領地替えにより関東へ移ると、豊臣秀吉の家臣田中吉政が城主となり、城の整備が進められた。
江戸時代になると岡崎藩の政庁となり、主に本多家、水野家という譜代大名(関ヶ原の戦い以前からの家康の家臣)が城主を務めた。廃城令により1872年(明治五年)に多くの建物は取り壊された、

 
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