岐阜城

岐阜城城内マップ

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基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


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種類 史跡
アクセス JR岐阜駅・名鉄岐阜駅から長良橋方面行きバスで「岐阜公園・歴史博物館前」下車。徒歩3分のぎふ金華山ロープウェイ山麓駅からロープウェイに乗り山頂駅で下車(大人往復1080円)、徒歩8分。岐阜公園に駐車場あり(1回300円)。
概要 岐阜城は岐阜県岐阜市にかつて存在した山城。
鎌倉時代に二階堂行政が築いた砦が起源とされ、戦国時代に斉藤道三が本格的な城として整備したが、1567年(永禄十年)に織田信長に攻められ落城。
信長は安土城が築かれるまでここを拠点とし、その後信長の子孫などが城主となったが、関ヶ原の戦いで当時の城主織田秀信が西軍についたため廃城となった。
現在の天守閣は昭和期に再建されたもの。日本100名の一つ。国の史跡に指定。
見どころ 信長居館跡天下第一の門千成瓢箪発祥の地閻魔堂題目塚岐阜城資料館天守閣
拝観時間 3月16日-5月11日→9時30分~17時30分、5月12日-10月16日→8時30分~17時30分、10月17日-3月15日→9時30分~16時30分。1月1日は6時30分~16時30分、ゴールデンウイークなどに夜間公開あり。
拝観料 大人200円、小人100円。
サイト http://www.city.gifu.lg.jp/
住所 岐阜県岐阜市天主閣

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岐阜城跡の見どころ

信長居館跡

ロープウェイ山麓駅近くには織田信長の居館跡とされる場所があり、発掘調査の結果土塁や石垣、瓦などが発見されている。

天下第一の門

ロープウェイ山頂駅近くに建つ門。
岐阜市によって建てられたもので、岐阜城時代にはじまて「天下布武」の朱印を用いて天下統一事業に乗り出した信長にちなんで「天下第一の門」と名付けられている。

千成瓢箪発祥の地

千成瓢箪とは豊臣秀吉が用いた馬印(武将の所在を示すために使われた標識)の一種。
秀吉は岐阜城攻撃の際に蜂須賀小六や山麓の猟師7名を従えて城内に侵入して火を放ち敵軍に打撃を与えたと伝えられ、この時、腰にさげていた瓢箪を槍先に結んで勝鬨をあげたのが千成瓢箪の発祥とされる。

閻魔堂

二ノ丸跡にある小堂。
堂内の木造閻魔王坐像は、南北朝時代に美濃の守護土岐頼康が川手城(現岐阜市正法寺町)内に建てた閻魔堂に安置したものとされ、岐阜市の指定文化財となっている。

題目塚

閻魔堂近くにある五輪塔。
誰がいつ頃建てたものなのかはわかっていないが、「南無妙法蓮華経」と刻まれていることから題目塚と呼ばれる。

岐阜城資料館

天守閣の手前には岐阜城資料館があり、鎧や兜、岐阜城関連資料などが展示されている。

天守閣

1910年(明治四十三年)に復元された天守は1943年(昭和十八年)に焼失し、現存の建物は1956年(昭和三十一年)再建の鉄筋コンクリート製。
1階は武具の間、2階は城主の間、3階は信長公の間と名付けられており、関連資料などを展示。4階は展望室となっており、岐阜の街が一望でき、夜間拝観時には夜景も楽しめる。

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歴史

1201年(建仁元年)に鎌倉幕府の有力御家人二階堂行政が稲葉山(金華山)に築いた砦が起源とされ、その後荒廃した状態となっていたが、応永年間に美濃国守護代斎藤利永がこれを修築して居城とした。
1525年(応永五年)には、反乱を起こした斎藤氏家臣・長井長弘、長井新左衛門尉らによって攻められ長井氏の城となり、1539年(天文八年)頃、左衛門尉の子で斎藤氏を継いだ斎藤道三(利政)によって本格的な城として整備された。
道三は1541年(天文十年)に守護の土岐頼芸を追放して戦国大名として名を馳せ、稲葉山城は子の義龍、孫の龍興と引き継がれていったが、1567年(永禄十年)に尾張の織田信長に攻められて落城。
信長が稲葉山城を岐阜城と改め(城下の町もこれにより岐阜と呼ばれるよになった)、1576年(天正四年)に安土城を築くまで当城を拠点に天下統一を推し進めた。
信長が安土城に移った後子の信忠に引き継がれ、その後、織田信孝、池田輝政などが城主になったが、1600年(慶長五年)の関ヶ原の戦いの際城主織田秀信は西軍についたため東軍方に攻められ落城。
徳川家康は岐阜城の廃城を決め、その資材は加納城の築城に利用されてといわれている。

 
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