前橋城跡

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基本情報

知名度
平均評価


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種類 史跡
アクセス JR両毛線前橋駅から徒歩25分。
概要 前橋城(古くは厩橋城)は群馬県前橋市にかつて存在した城。
15世紀に長野氏が築城したのが始まりと考えられ、1560年(永禄三年)に上杉謙信に奪われて以来、謙信の関東進出の拠点となったが、謙信の死後武田勝頼に奪われ、武田氏が織田信長によって滅ぼされると滝川一益へ与えられた。
本能寺の変後、一益は小田原の北条氏に敗れ、前橋城は北条氏の支配下に入ったが、1590年(天正十八年)に北条氏は豊臣秀吉に滅ぼされ、関東に入った徳川家康は家臣の平岩親吉を城主として派遣した。
親吉は1601年(慶長六年)に甲府へ移され、代わり酒井重忠が入ると以後9代に渡って酒井家の藩主が続き、1749年(寛延二年)に酒井忠恭が姫路に移り、代わりに姫路から松平朝矩が入って以降は越前松平家の藩主が続いた。
しかし、利根川の氾濫などにより城の劣化が進み、財政難によりまともな修復が行えなかったため1767年(明和四年)に廃城となり、藩主は川越城に移ってしまった。
その後、財政状態が改善した幕末に再び造り直され、1867年(慶応三年)に完成したものの維新後の廃城令により取り壊された。
現在は本丸跡が群馬県庁、二の丸跡が前橋市役所、三の丸跡が前橋地方裁判所及び前橋公園となっており、遺構はあまり残されていない。
見どころ 土塁、公園
拝観時間 境内自由
拝観料 境内自由
サイト なし
住所 群馬県前橋市大手町

 
[gad45]

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