沼田城跡

[spp]

基本情報

知名度
平均評価


0

種類 城跡・史跡
アクセス
概要 沼田城は現在の群馬県沼田市にかつてあった城。
1532年(天文元年)頃、当地の豪族・沼田顕泰(沼田氏は宝治合戦を逃げ延びた三浦氏の一族ともされ、鎌倉時代以来当地に勢力を持った)によって築かれ、戦国時代には越後の長尾氏(上杉氏)、甲斐の武田氏、小田原の北条氏が軍事上の要所であったこの城を巡って壮絶な争いを繰り広げた。
現在は公園として整備されており、土塁や石垣の一部が残る他、復元された鐘楼などがある。
見どころ 鐘楼旧生方家住宅旧土岐邸洋館
拝観時間 境内自由
拝観料 境内自由
サイト http://www.city.numata.gunma.jp/
住所 群馬県沼田市西倉内町594

[gad]

沼田城跡の見どころ

鐘楼

本丸跡に建つ鐘楼は1634年(寛永十一年)に当時の城主真田信吉が鋳造させた城鐘をいかすため1983年(昭和五十八年)に建てられたもの(現在実際に吊るされている鐘は複製)。

旧生方家住宅

二ノ丸跡に建つ江戸時代の木造住宅。
生方家は代々薬種商を営んできた当地の商人。建物は江戸時代中期に建てられたものとみられ、近くには生方家に伝わる文化財や歌人の生方たつゑ(1905-2000年)の著作などを展示する生方記念資料館もある。

旧土岐邸洋館

二ノ丸跡に建つ洋館。
土岐家は1742年(寛保二年)から明治になるまで沼田藩藩主を務めていた家で、この洋館は1924年(大正十三年)に渋谷の土岐邸内に建てられ、1990年(平成二年)に当地へ移築されたもの。

利根英霊殿

公園内にある神社で、日露戦争、太平洋戦争で亡くなった当地出身者達を祀る。1934年(昭和九年)の建立。

広告

歴史

関東管領家である山内上杉家が没落し北条氏の勢力が当地まで及ぶようになると沼田氏もその北条氏に属することとなったが、1560年(永禄三年)に長尾景虎(上杉謙信)が沼田城を攻め、今度は上杉氏(長尾氏)の配下につくこととなり、さらに沼田氏が内部対立から自壊したため長尾氏が完全に城を支配することとなった。
しかし、1578年(天正六年)、謙信の死後の後継者争いで上杉氏が混乱に陥った隙をついて北条氏が再び城を奪い、1580年(天正八年)になると今度は武田氏方の真田昌幸の手に落ちた。
その後、真田氏と北条氏の間で争いが繰り返され、豊臣秀吉の裁定で一旦北条氏のものと決められたが、1590年(天正十八年)に北条氏が滅ぼされると真田信幸(昌幸の子)の城となった。
真田信幸は関ケ原の戦いで東軍につたため所領を安堵され、5層の天守閣が建てられるなど近代的な城として整備された沼田城はその子孫に受け継がれていったが、1681年(天和元年)に真田信利が失政などを理由に改易となり、城も取り潰された。
その後、天領を経て1703年(元禄十六年)に本多正永に与えられ沼田藩は復活したが、本格的な城の復興が行われることはなく明治をむかえた。
1916年(大正五年)に荒れ果てていた跡地を沼田藩士の家系出身で衆議院議員などを務めた久米民之助が私財を投じて購入し、1926年(大正十五)に沼田町に寄贈。

 
[gad45]

広告