鹿島神宮

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基本情報

知名度 ★★★★
平均評価


0

種類 神社
アクセス JR鹿島線鹿島神宮駅から徒歩10分。無料・有料駐車場あり。
概要 鹿島神宮は茨城県鹿嶋市にある神社で武甕槌大神を祭神とする。
社伝によれば神武天皇元年(前660年)の創建とされ、奈良時代には藤原氏の氏神として信仰され、祭神の武人的性格から中世には武家からも崇敬された。
境内は約70ヘクタールという広大さを誇り、古くから保護されてきたため他ではなかなか見ることのできないような巨木が生い茂る。本殿、仮殿、奥宮などは重要文化財に指定。
主な行事には、歳旦祭(1月1日)、白馬祭(1月7日)。節分祭(2月3日)、祭頭祭・春季祭(3月9日)、例祭(9月1日)、相撲祭 (11月3日)があり12年に1度御船祭が行われる。
見どころ 稲荷社楼門高房社仮殿遥拝所本殿宝物館鹿園要石奥宮御手洗
拝観時間 境内自由(授与所は8時~16時30分、祈祷受付は8時30分~16時30分)
拝観料 境内自由(宝物館は大人300円、小人100円)
サイト http://kashimajingu.jp/
住所 茨城県鹿嶋市宮中2306-1

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鹿島神宮の見どころ

稲荷社

境内入口付近に位置する末社で保食神(うけもちのかみ)を祀る。
銚場の稲荷とも呼ばれ(銚場は直会場=祭りの後に神官や氏子が飲食する場所のこと)、社殿へは信徒から奉納された鳥居が立ち並ぶ。

楼門

社殿があるエリアの入り口に建つ高さ13mの重層門。
現存する門は1634年(寛永十一年)に水戸藩主初代藩主徳川頼房が江戸幕府第三代将軍家光の病気平癒を願って寄進したもので、筥崎宮の楼門、阿蘓神社の楼門と共に日本三大楼門に数えられている。重要文化財に指定。

高房神社

仮殿の前に建つ小さな社で建葉槌神(たけはづちのみこと)を祀る。
建葉槌神は国譲り*1の際に鹿島神宮の祭神・武甕槌命に服属しなかった星神香香背男(ほしのかがせお)を屈服させた神とされ、古来より本殿に参拝する前に当社に参るというならわしがあったという。

仮殿

仮殿は本殿を造り替える際に一時的に祭神を遷しておくための建物で、現存する仮殿は1617年(元和三年)に今の本殿が造られた際に建てられたもの。
かつては楼門正面にあったが何度か移築され、1951年(昭和二十六年)に現在地へ落ち着いた。重要文化財に指定。

遥拝所

境外摂社で経津主神を祀る沼尾神社(鹿嶋市沼尾)と天児屋命を祀る坂戸神社(鹿嶋市山之上)を遥拝(遠くから拝むこと)するための場所。周辺には末社が建ち並ぶ。

本殿

現存する建物は江戸幕府第二代将軍徳川秀忠の寄進で1619年(元和五年)に完成。
正確には拝殿・幣殿・石の間・本殿からなる作りで、通常は拝殿から拝む形になる。いずれも重要文化財に指定。
祭神武甕槌命(たけみかづちのみこと)はイザナギが火の神カグヅチを切り殺した際*2にその血から生まれたとされる神で、件の国譲りの際に十握の剣を持って地上に降り*3大国主に大国主に国譲りを認めさせたことでられる。

宝物館

鹿島神宮の伝わる貴重な文化財を収蔵、展示するための施設。
主な収蔵品には国宝に指定されている韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)や梅竹蒔絵鞍(重文)、横山大観筆の「鹿島洋朝瞰図」などがある。9時~16時、大人300円、中学生以下無料。

鹿園

鹿島神宮では鹿が神の使いとされており境内では鹿が飼われている。
鹿といえば奈良公園が有名だが春日大社は当社や香取神宮が勧請されてできた神社であり、その際に武甕槌命は白鹿に乗って大和国にやってきたと伝えられる。

要石

奥宮の横の道を入り森林を進んで行ったところにある石のこと。
当地では昔から地震が多く、土地の人々が地中に住む大ナマズのしわざと恐れていたところ香取の神と鹿島の神が地中に石棒を打ち込みナマズの頭と尾を貫いて動きを止めたと伝えられる(香取神宮にも要石が現存する)。
また当社を訪れた徳川光圀(水戸黄門)が石の長さを調べようよ部下に掘らせてみたがいつまでたっても先端が見えずあきらめたという話も残されている。

奥宮

摂社のひとつで武甕槌命(たけみかづちのみこと)の荒魂*4を祀る。
現存する社殿は1605年(慶長十年)に徳川家康の寄進で建てられて旧本殿であり、現在の本殿が建てられる際に移築されて奥宮の社殿として使われるようになった。

御手洗

奥宮横の階段を下っていったところにある池。
かつてはここで禊を済ませてから参拝するのが慣わしだったといい、現在も大寒禊に使われている。
大人が入っても子供が入っても不思議なことに水位が胸の高さを越えないという伝説がある。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「鹿島神宮」の御朱印、②「奥宮」の御朱印。
貰える場所 祈祷殿内部の朱印受付。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 楼門が描かれた御朱印帳が販売されています。サイズは16cm×11cm、値段は1000円。
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歴史

社伝によれば、武甕槌命の下した霊剣によって東征を成功させた神武天皇が感謝をこめて即位の年(前660年)、当地に武甕槌命を祀ったのが始まりとされる。
これがそのまま史実とは考えにくいが713年(和銅六年)に編纂された「常陸国風土記」にも登場する古社であり、朝廷の東国経営と深く関わっているとされる。
中臣氏は当社の祭祀を握っていたとされ、中臣鎌足が藤原氏を起こすと藤原氏の氏神として崇敬され奈良春日大社の第一殿には武甕槌命が勧請されている。
また朝廷からの崇敬も篤く、平安時代以降には鹿島使と呼ばれる朝廷の使者が1年に1度派遣された(今も宮中で行われる四方拝の儀式で遥拝される神社のひとつであり、9月に行われる例祭には6年に1度勅使が遣わされる)。
鎌倉時代には源頼朝が社領を寄進するなど武家からも信仰を集めるとうになり、江戸時代はじめには徳川家康や2代将軍徳川秀忠が社殿を寄進した。

*1日本書紀や古事記に登場する話で、葦原中国(地上)を支配する大国主神が高天原の神々(天津神)に国を譲ることを約束させられる物語。その後、天皇家の祖である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が地上に降臨する。
*2カグヅチはイザナミが生んだ神だが、火の神であったためイザナミに大火傷を負わせてしまい(これが原因でイザナミは死ぬ)怒ったイザナギによって切り殺された。
*3日本書紀では香取神宮の祭神である経津主神(ふつぬしのかみ)が共に遣わされている。
*4霊魂の荒々しく活動的な側面を表す言葉でで対概念に和魂がある。
 
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