円覚寺の歴史

[spp]

概史

1282年(弘安五年)、鎌倉幕府八代執権北条時宗を開基、無学祖元を開山として建立。
無学祖元は蘭渓道隆が亡くなった後、時宗に招かれて1279年(弘安二年)に来日した禅僧で、建長寺の住持となり、蒙古襲来の対応に苦慮する時宗にアドバイスを与え篤い信任を得た。
元寇が収まった後、祖元は帰国を希望したが時宗は蒙古襲来の死者を弔うために寺院を建てることを計画し、祖元に開山を引き受けさせた。
円覚寺の名前は建設予定地を探している際に現在円覚寺が建つ土地が気に入り、鍬をいれたところ土の中から円覚経というお経が出てきたとい伝説に由来し、山号の瑞鹿山は開山の儀式の際に無学祖元が説法していると白鹿が集まってきて、聴き入ったとの言伝えによるもの。
鎌倉幕府が滅亡すると庇護者である北条氏を失ったが、鎌倉公方足利氏の支援で寺勢は保たれ、室町時代には鎌倉五山二位列せられるなど臨済宗の中心的寺院のひとつとして繁栄した。
しかし、室町時代後期になり鎌倉公方が古川に去ると庇護者を失い、度重なる火災や災害もあって荒廃が進んだ。
その後徐々に復興が進み、1892年(明治二十五年)に管長に就任した釈宗演は、夏目漱石や鈴木大拙など文化人にも多く信奉者を持ち、禅を欧米に紹介するなど積極的な活動を展開し禅宗の近代化に尽力した。

年表

1282年(弘安五年)、創建。
1287年(弘安十年)、火災に遭う。
1290年(正応十年)、火災に遭う。
1316年(正和五年)、地震による火災で焼失。
1374年(応安七年)、仏光派と大覚派の対立から放火が起き全焼。
1407年(応永十四年)、火災に遭う。
1536年(永禄六年)、火災にあう。
1703年(元禄十六年)、地震で被害を受ける。
1923年(大正十二年)、関東大震災で一部建物が倒壊。

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円覚寺の基本情報

知名度 ★★★★
種類 寺院(臨済宗円覚寺派)
アクセス JR横須賀線北鎌倉駅下車すぐ。専用の円覚寺門前駐車場あり(普通乗用車1時間600円)。
概要 円覚寺はJR横須賀線北鎌倉駅の目の前に位置する(いうよりも北鎌倉駅は円覚寺の境内を突っ切る形で建設された)臨済宗の寺院。
1282年(弘安5年)、元寇の死者を弔うために時の執権北条時宗が中国(宋)から招いた僧・無学祖元を開山として創建した古刹で、現在は臨済宗円覚寺派の総本山となっており、国宝に指定されている舎利殿や洪鐘(おおがね)をはじめとして貴重な建物や文化財が数多く伝えられている。
拝観時間 3月-11月→8時〜16時30分、12月-2月→8時~16時
拝観料 大人300円、小人100円(仏日庵は別途100円)
ページ //kankou-map.com/kamakura/engaku/
住所 神奈川県鎌倉市山ノ内409

 
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