覚園寺

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基本情報

知名度
平均評価


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種類 寺院(真言宗泉涌寺派)
アクセス 鎌倉駅から徒歩35分。またはバス(鎌20)で大塔宮下車、徒歩8分。
概要 覚園寺は鎌倉市二階堂にある真言宗の寺院。
1218年(健保六年)の創建で、開山は智海心慧、開基は鎌倉幕府第二代執権北条義時
鎌倉駅から遠いためか参拝客は少なめだが、自然豊かで、境内は国の史跡に指定されており、貴重な文化財も多数残されている。
見どころ 薬師堂愛染堂黒地蔵石造宝篋印塔百八やぐら
拝観時間 10時、11時、13時、14時、15時(土日は+12時)に寺の案内人の先導で参拝する形式(年末年始は通常拝観休止)。
拝観料 一般500円 子供200円。
サイト なし
住所 神奈川県鎌倉市二階堂421

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覚園寺の見どころ

薬師堂

初期の伽藍は火災により焼失してし、1354年(文和三年)に足利尊氏の支援で復興されるが、この建物も江戸時代の元禄年間に災害で壊れ、現存するのはその後に木材を再利用して再建されたもの(天井には尊氏が自ら書いた梁牌が残されているという)。堂内には本尊の木造薬師如来坐像と脇を固める日光・月光菩薩像や十二神将像、阿弥陀如来坐像を安置。この阿弥陀如来像は理智光寺(廃寺)にあったもので、胎内に小さな仏像を納めていたことから鞘阿弥陀とも呼ばれる。

愛染堂

現存の建物は、大楽寺(廃寺)から遷されたもの。堂内には本尊の木造愛染明王坐像や鉄造不動明王坐像、木造阿閦如来坐像、木造阿弥陀如来坐像、木造文殊大士坐像などを安置する。不動明王像は願行上人(1215年~1295年)が大山不動明王像を作るのに先立って試しとして鋳造したので「試みの不動」とも呼ばれる。

黒地蔵

地蔵堂に安置されている木造地蔵菩薩立像のこと。毎年八月十日には黒地蔵縁日が開催され、午前零時から正午までは自由に参拝することができる。

石造宝篋印塔

境内奥の墓所にある開山智海心慧及び2世大燈源智の墓塔。いずれも1332年(正慶元年)建立で、国の重要文化財にしていされているが、普段は立入禁止で見ることができない。1966年(昭和四十一年)に解体修理が行われた際には遺骨を納めた壺などが見つかっている。

百八やぐら

覚園寺の周りにはやぐら(中世鎌倉で造られた横穴式の墓)が多数存在し、数の多さから「百八やぐら」と呼ばれる。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「薬師如来」の御朱印、②鎌倉二十四地蔵霊場第三番「黒地蔵尊」の御朱印、③弘法大師相模二十一ヶ所霊場第三番「通照金剛」の御朱印、④鎌倉十三仏「阿閃如来」の御朱印。
入手場所 入山受付窓口の朱印所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 寺名が入った非常にシンプルな御朱印帳があります。

歴史

1218年(建保六年)のある日、二代執権北条義時は将軍実朝に従って鶴岡八幡宮に参拝した。その夜眠っていると、夢の中に十二神将(薬師如来を護る神々)の戌神が現れ、来年は将軍とともに参拝してはならぬと告げたので驚いた義時は加護を得ようと薬師堂の建立をはじめた。
翌、1219年(建保七年)実朝の右大臣拝賀式に伴っていた義時は、白い犬の姿を見ると気分が悪くなり源仲章に役を変わってもらう。すると儀式を終えた実朝は仲章もろとも公暁に切られ死んでしまった。義時は十二神将が護ってくれたものと思い、薬師堂に参ると戌神の像だけがなぜか堂内に無かったという。
この薬師堂が覚園寺の始まりで、1296年(永仁四年)に北条貞時が異国降伏を願って本格的な寺院として整備した。
幕府滅亡後の建武の新政では後醍醐天皇の勅願寺となり、その後も足利氏の祈願所になるなど権力者の保護を受け寺勢を保ったが、1830年(文政十三年)に火災で大損害を受けて以降は衰退していったようである。
もともと真言・律宗・禅・浄土の兼学だったが、明治初めに兼学が禁止となると本山の泉涌寺とともに真言宗となった。

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アクセスと駐車場

鎌倉駅から徒歩

鎌倉駅から徒歩で行く場合は、東口を出て(江ノ電の場合は地下道を通り東口側に回る)、若宮大路を鶴岡八幡宮方面に進み、八幡宮前で右折。
しばらく道なりに進み、岐れ路の交差点で左折し道なりに歩けば鎌倉宮に突き当たるのでそこを左折し、更に歩けば到着。所要時間は約35分。

鎌倉駅からバス

バスを利用する場合は、鎌倉駅東口から鎌20大塔宮行きに乗り終点で下車、徒歩8分。

駐車場

覚園寺に参拝者用の駐車場はないので車で行く場合は、鎌倉宮横にある観光協会運営の鎌倉宮横駐車場(二階堂87−1)を利用するのがおすすめ。
料金は、平日土日祝日とも普通車1時間430円、大型車1時間1600円となってる。

 
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