智積院

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基本情報

知名度 ★★★
平均評価


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種類 寺院(真言宗智山派)
アクセス 市バス東山七条下車徒歩3分。京阪七条駅から徒歩10分。無料駐車場自家用車30台分あり。
概要 智積院は京都市東山区にある真言宗の寺院で、正式には五百佛山根来寺智積院といい全国に3000寺程あるという真言宗智山派の総本山となっている。
元は紀州の根来寺の塔頭であり、1601年(慶長六年)に徳川家康から土地を与えられたのが実質的な創建。
境内には講堂、金堂、大師堂、明王殿などがあり、収蔵庫に展示されている長谷川等伯の障壁画が有名。
また、池泉回遊式の庭園では様々な植物を楽しむことができる。所蔵の国宝に大書院障壁画と金剛経がある。
見どころ 金堂収蔵庫庭園明王殿講堂
拝観時間 9時~16時30分(受付は16時)
拝観料 一般500円、中高生300円、小学生200円
サイト http://www.chisan.or.jp/
住所 京都府京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964

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智積院の見どころ

金堂

1705年(宝永二年)に建てられた前金堂は1882年(明治十五年)に焼失し、現存の建物は1975年(昭和四十年)に弘法大師生誕千二百年の記念事業として再建されたもの。
内部には本尊の大日如来像を安置し、地下には胎蔵界大日如来が安置されている。

収蔵庫

智積院に伝わる貴重な文化財を収蔵展示するための施設。
中でも最も有名なのが長谷川等伯・久蔵父子とその弟子達によって描かれた一連の障壁画で、桜図、楓図、梅図、桜楓図、松に秋草図、松に葵の図、雪松図などから成る。
元は智積院の前身であり、豊臣秀吉が長男の鶴松の菩提を弔うために営んだ祥雲寺に描かれたもので、「松に葵の図」「桜図」は等伯、「桜図」は子の久蔵によるものと考えられている。
智積院所蔵の文化財には他にも南宋の書家・張即之(1186‐1266年)筆の金剛経(国宝)や南画の祖として知られる王維(701-761年)の筆と伝えられる瀧図(重文)があるが、これらは京都国立博物館に寄託されている。

庭園

大書院前には利休好みとも伝えられる池泉回遊式庭園があり、名勝に指定されている。
智積院以前にこの地にあった祥雲寺時代に造られた庭園を1674年(延宝二年)に第七世運敞僧正が修復したもの。ツツジ、サツキなどが植えられており、四季折々の表情を楽しむことができる。

明王殿

1882年(明治十五年)に大雲院の本堂を譲り受けて移築したもので、初め現在の講堂の位置にあったが、講堂の再建に伴い1992年(平成四年)に現在地へ移された。内部には本尊の不動明王像を安置する。

講堂

現存する建物は1995年(平成七年)の完成。
堂内には画家で東京藝術大学名誉教授の田渕俊夫氏から2008年(平成二十年)に奉納された襖絵が飾られている。

御朱印・御朱印帳

種類 ①本尊「大日如来」、②京都十三仏霊場第一番「不動明王」、③近畿三十六不動霊場第二十番「智恵不動」、④青葉まつり限定御朱印。
入手場所 境内入口付近の納経所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 ないようです。

歴史

智積院は元々紀州の根来寺(大伝法院)内に設立された学問所だったが、室町時代以来一大勢力となっていたため根来寺が豊臣秀吉と対立して1585年(天正十三年)に破壊された。
智積院の学頭だった玄宥は学徒達を引き連れ逃れ、以後各地を転々としたしたが、1601年(慶長六年)に徳川家康から現在地を与えられここに落ち着き寺観を整えた。
さらに豊臣氏滅亡後の1615年(元和元年)、秀吉の創建した祥雲寺の東半分を与えられ規模を拡大した。
元が学問所であることもあり、江戸時代には学問研究が盛んに行なわれ、全国から多くの学徒が集まった。
明治になると上知で寺地を減少したことや廃仏毀釈の影響で一時衰微したが、真言宗智山派を旗上げし、現在ではその総本山として約3000に及ぶ所属寺院を束ねる。

 
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