北野天満宮

[spp]

基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


0

種類 神社
アクセス 京福電車白梅町駅から徒歩5分。市バス北野天満宮前からすぐ。駐車場あり。
概要 北野天満宮は京都市上京区馬喰町にある菅原道真を祀る神社で、北野神社、北野天神などとも呼ばれる。
道真は学問の神として有名なため受験生や修学旅行生の参拝客も多く、梅や紅葉の名所としても有名。
本殿と所蔵の北野天神縁起は国宝。大宰府天満宮、防府天満宮と共に日本三大天神に数えられている。
主な年中行事に筆始祭(1月2日)、梅花祭(2月25日)、雷除大祭(6月1日)、例大祭(8月4日)、瑞饋(ずいき)祭(10月1日~5日)、終い天神(12月25日)がある。毎月25日が縁日。
見どころ 三光門社殿宝物館紅葉地主神社文子天満宮牛舎火之御子社
拝観時間 4月~9月→5時~18時、10月~3月→5時30分~17時30分。
拝観料 境内自由(宝物館→一般300円、梅苑→大人700円、もみじ苑→大人700円)
サイト http://kitanotenmangu.or.jp/
住所 京都府京都市上京区馬喰町

[gad]

北野天満宮の見どころ

三光門(中門)

楼門と拝殿の間に立つ、単層入母屋造桧皮葺の四脚門。
三光とは日・月・星の事で、背面にそれらの彫刻があることから三光門と呼ばれるが、星だけは見当たらないとされる。その訳は朝廷があった大極殿から天満宮の方角を見ると門の上に北極星が輝き、それを星の彫刻代わりにしたためだといい、星欠けの三光門の異名がある。しかし、よく見ると(考えると?)星らしき彫刻は存在するという意見もある。
他にも、唐獅子の蟇股や鶴、兎、孔雀、鳳凰などの見事な彫刻が施されており、掲げられている「天満宮」の額は、後西天皇(1638-1685年)から贈られたもの。
楼門から三光門にいたる道の途中には撫牛と呼ばれる牛の像(道真を祀る神社では牛が神の使いとされる)が置かれており、撫でると頭がよくなるというので受験生に人気がある、

社殿

三光門奥に位置する巨大な建物で、菅原道真公、中将殿、吉祥女を祀る。
拝殿には左右に入母屋造の楽之間が付属し、屋根が複雑な構造になっていることから八棟造とも称される。現在の社殿は1607年(慶長十二年)に豊臣秀吉の意志を継いだ豊臣秀頼の支援によって再建されたものであり、入母屋造の拝殿と本殿を石の間で結んで一棟とする権現造で、日光東照宮にも影響を与えたとされる。国宝に指定。
社殿前には渡辺綱(平安時代中期の武将)が寄進したと伝えられる六角形の石灯篭がある。

宝物館

社務所の手前にある建物で、北野天満宮に伝わる貴重な文物を収蔵する。
藤原時平との対立、大宰府への左遷など菅原道真の生涯や死後の祟りを書いた1219年(承久元年)成立の「北野天神絵巻」、豊臣秀頼が寄進した堀川国広(1531-1614年)作の刀をはじめ、古文書、刀剣、蒔絵、茶道具が展示されている。
開館日は毎月25日、梅・紅葉シーズン、1月1日、12月1日、4月10日~5月30日で、開館時間は9時~16時、料金は一般300円、中学生250円、子供150円となっている。

菅原道真は梅をこよなく愛したといい、約約2万坪の境内には梅50種約1,500本の梅が植えられている。
楼門手前には梅苑もあり、2月上旬から3月下旬(梅の開花状況により多少変動する)にかけて公開される。入園料は茶菓子付で大人700円、子供350円。
また、道真の命日に当たる2月25日には梅花祭が開催され、紅白の梅の花が捧げられる。

紅葉

北野天満宮境内には、1591年(天正十九年)に豊臣秀吉が洛中と洛外を区分し洪水を防ぐために作った土塁(御土塁)が一部残されており、その付近に約250本の楓を有するもみじ苑がある。
11月上旬~12月上旬の紅葉シーズンに公開され、入苑料は茶菓子付きで大人700円・こども350円。11月中旬からはライトアップも行われる。
また、5月上旬〜下旬の新緑の季節にも青もみじとして公開される。

地主神社

北野天満宮の摂社のひとつで天神地祇(天と地上の様々な神)を祀る。
北野天満宮が創建される以前から当地にあった神社と考えられ、「続日本後記」には承和三年(836年)に天神地祇を北野に祀るとの記載がある。

文子天満宮

末社のひとつで菅原大神(菅原道真)を祀る。
当社の創建者である巫女多治文子(あやこ)の邸宅跡に創建された神社が1873年(明治六年)に当社境内に遷されたもの。

牛舎

境内の一角にある建物で、ここに安置されている牛の像は撫でると一つだけ願いがかなうといわれ「一願成就のお牛さん」と呼ばれている。近くには絵馬掛所がある。

火之御子社

摂社のひとつで火雷神(からいしん)を祀る。
火雷神は「北野雷公」とも呼ばれた天満宮創建以前から当地に祀られていた神で、五穀豊穣、雷除けにご利益があるという。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「北野天満宮」、②「文道大祖風月本主」、③「和魂漢才」、④「至誠」、⑤「御土居の紅葉」
入手場所 三光殿近くの社務所で貰うことができます。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 梅の花がデザインされた御朱印帳があります。
広告

北野天満宮の歴史

菅原道真(845-903年)は平安時代に活躍した学者・政治家で、それほど身分の高い家の出身ではなかったが、宇多天皇に重用され、醍醐天皇のもとでは右大臣にまで出世したが、左大臣藤原時平の陰謀により901年(延喜元年)、大宰府に左遷されそのまま現地で憤死した。
道真の死後、909年(延喜九年)に時平が、923年(延長元年)に皇太子保明親王が、925年(延長三年)に時平の外孫である皇太子慶頼親王が若くして死に、更に930年(延長八年)、内裏に雷が落ち大納言藤原清貫が死亡すると怨霊による祟りが噂された。
これを鎮めるために建てられた神社が天満宮で、919年(延喜十九年)には大宰府天満宮(安楽寺天満宮)が創建された。
そんな中、942年(天慶五年)のある日、右京七条二坊十三町に住んでいた巫女多治文子(奇子)のもとに天神(道真)が現れて、北野の地に社殿を設けて自身を祀るように告げたが、身分の低く財力の無い奇子にとってそれは簡単なことではなく、はじめ自分の邸宅内に祀っていた。947年(天暦元年)、近江国高島郡比良郷の神良種の息子太郎丸にも同様の託宣があり、このことを知った朝日寺(後の北野天満宮の神宮寺)の住職が神良種、太郎丸らと協力し、六月九日に多治文子の邸宅から現在地へと移した。
これが北野天満宮の起源と伝えられ、959年(天徳三年)には藤原師輔の支援で壮大な社殿が建てられ、987年(永延元年)には一条天皇から「北野天満宮天神」の号を贈られて二十二社の一つに列せられるなど高い社格を与えられた。
鎌倉時代・室町時代にも変わらず信仰を集めていたが、1444年(文安元年)当社を本拠地としていた北野麹座(麹業者の同業組合)が酒屋との対立などから幕府に攻められて当社も焼失し、一時衰退を余儀なくされた。
その後復興され、1587年(天正十五年)には豊臣秀吉が各地の茶人を集めて開いた北野大茶湯の舞台となっている。また、1607年(慶長十二年)には秀頼によって三光門、東門などが建てられている。
江戸時代になると道真が優れた学者であったことにちなんで、学問の神様としても信仰を集めるようになった。
明治に制定された近代社格制度の元では官幣中社となり、現在は神社本庁の別表神社となっている。

 
[gad45]

広告