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基本情報
知名度 | ★★★★ |
平均評価 | |
種類 | 寺院(真言宗御室派) |
アクセス | 御室仁和寺駅徒歩約2分。花園駅徒歩約15分。バス御室仁和寺下車すぐ。駐車場あり(乗用車500円)。 |
概要 |
仁和寺は京都市右京区にある真言宗御室派の総本山寺院で仁和寺門跡、御室御所などとも呼ばれる。 886年(仁和二年)に光孝天皇の勅願により着工され、888年(仁和四年)宇多天皇の代に完成。宇多天皇は仁和寺で出家し、以後明治時代に至るまで皇族が住持を務める門跡寺院として高い寺格を誇った。 桜の名所としても有名で春の花見シーズンには多くの人で賑わう。1994年(平成六年)には古都京都の文化財の一部としてユネスコの世界遺産に登録されている。 |
見どころ | 仁王門、御殿、霊宝館、五重塔、金堂、桜、九所明神、経蔵、御影堂、水掛不動 |
拝観時間 | 3~11月→9時~17時、12~2月→9時~16時30分、霊宝館は期間限定。 |
拝観料 | 境内自由(桜の時期は500円)御殿→500円、霊宝館→500円、茶室→1000円(別途御殿拝観料も必要) |
サイト | http://www.ninnaji.or.jp/ |
住所 | 京都市右京区御室大内33 |
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仁和寺の見どころ
仁王門
仁和寺の正面、きぬかけの路に面して立つ入母屋造本瓦葺の重層門。
現存の建物は寛永年間(1624~1644年)に再建されたもので、知恩院や南禅寺の三門と共に京都三大門の一つに数えられている。
御殿
宇多天皇が御所を営んだとされる場所で、白書院、宸殿、黒書院、霊明殿などから成る。
その名にふさわしく寛永年間(1624-1644年)に皇居の常御殿を移築した建物があったが、1887年(明治二十年)に焼失し、現存の建物は明治時代末から大正時代初期再建されたもの。
宸殿の北側には北庭と呼ばれる池泉回遊式の庭園があり、その奥には飛濤亭、遼廓亭という茶室がある。
- 仁王門
- 金剛力士像
- 御殿_勅使門
霊宝館
創建時の本尊といわれる木造阿弥陀如来及両脇侍像(国宝)、絹本著色孔雀明王像(国宝)、三十帖冊子(国宝)など仁和寺に伝わる貴重な寺宝を所蔵する。
4月1日~5月第4日曜日と10月1日~11月23日の春秋2期間公開される。入場料500円、9時~16時30分。
五重塔
1644年(寛永二十一年)建立の塔身32m、相輪を含めると36mの高さを持つ塔。
上層と下層の大きさが余り変わらないのが特徴で、内部には大日如来を安置し、柱や壁には真言八祖などが描きこまれている。
金堂
慶長年間(1596-1615年)に建てられた内裏(現京都御所)の紫宸殿を寛永年間(1624-1644年)に移築したもので、国宝に指定されている。
単層入母屋造桧皮葺の建物の内部には本尊の阿弥陀三尊や四天王像、梵天像などを安置し、壁面には浄土図や観音図が描かれている。
桜(御室桜)
境内には古くから桜が多く、特に中門の左側に植えられている約200株の御室桜と呼ばれる桜は有名。
樹高が低く、遅咲きなのが特徴で、満開になるのは四月中旬になってからな場合が多いい、樹高が低いのは、土が粘土質で固く深く根を張れず、栄養も少ないためともいわれる。花(鼻)が低いことからお多福桜との別名もある。
桜が咲き出すと多くの人で賑わい、中門より中へ入るのには特別入山料500円が必要となるので注意。国の名勝に指定されている。
- 五重塔
- 金堂
- 季節外れの御室桜
九所明神
仁和寺境内にある神社で、建物は3棟に分かれ、中央に八幡、左殿に賀茂、日吉、武答、稲荷、右殿に松尾、平野、小日吉、木野嶋の計九座の神を祀る。
現存する建物は江戸時代の寛永年間(1624-1645年)に再建されたもので重要文化財に指定されている。
経蔵
建物は江戸時代初期の再建。
内部にはお経を納めるための回転式書架(輪蔵)があり、釈迦如来像、文殊・普賢菩薩像などが安置されている。
御影堂
境内左端に位置する建物で、堂内には弘法大師像、宇多法皇像などを安置する。
現存する建物は慶長年間(1596-1615年)に建てられた内裏の清涼殿の一部を寛永年間(1624-1645年)に下賜されて移築したもの。
水掛不動
御影堂の近くにある小さな建物で不動明王を祀る。近畿三十六不動霊場の第十四番札所。
- 鐘楼
- 経蔵
- 水掛不動
御朱印・御朱印帳
種類 | ①「旧御室御所」、②京都十三仏第九番「勢至菩薩」、③近畿三十六不動霊場第十四番「水掛不動尊」、④「弘法大師」、⑤「阿弥陀如来」、⑥御詠歌の御朱印、⑦「薬師如来」(毎月8日限定)。 |
入手場所 | 金堂前にある納経所、御殿入り口左側の御朱印所。 |
値段 | 1件300円 |
オリジナル御朱印帳 | 五重塔と桜が描かれた御朱印帳などがあります。 |
仁和寺の歴史
886年(仁和二年)に光孝天皇の勅願により造営が開始され、天皇が亡くなり宇多天皇に代替わりした後の888年(仁和四年)に金堂が完成し、年号を取って仁和寺とした。
899年(昌泰二年)、33歳の宇多天皇は実子の醍醐天皇に譲位して出家して仁和寺に御室(現在の御殿付近)を築きそこへ移り住んだ。
このことから仁和寺は御室御所とも呼ばれ、以後皇子や皇族が住持を勤めるのが慣例となり、江戸時代末期になるまでこの状態が続くこととなった。
皇室との結びつきにより高い寺格を誇った仁和寺は多くの子院や末寺を抱え繁栄を極めたが、室町時代にはやや衰え、応仁の乱では西軍の陣地として使われたため、1468年(応仁二年)に東軍の攻撃を受けてほとんどの伽藍が焼き払われた。
その後、寛永年間(1624~44年)に徳川家の援助を受けて再興が進み、また御所の改築に伴い清涼殿、宸殿、常御殿を下贈された。更に1644年(寛永二十一年)には五重塔が完成し、子院も再興されるなど1646年(正保三年)までには寺観が整った。
1867年(慶応三年)、第三十世門跡の純仁(小松宮彰仁親王)は還俗し、皇族による門跡は終わりを告げ、1887年(明治二十年)には火災で御室御所などが焼失している。
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