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基本情報
知名度 | ★★★★ |
平均評価 | |
種類 | 寺院(天台宗) |
アクセス | 地下鉄東西線東山駅下車徒歩5分。市バス神宮道下車徒歩3分。専用駐車場は台数僅か。 |
概要 |
青蓮院は京都市東山区粟田口三条坊町にある天台宗の寺院。 最澄が比叡山を開く際に東塔南谷に建てた青蓮坊が始まりで、1150年(久安六年)、行玄の時に門跡寺院となり、青蓮院と改称され、京都にも堂宇が建てられた。 門跡寺院とは摂関家や皇族が代々門主を務めることになっていた寺のことで、青蓮院は三千院、妙法院と共に天台三門跡の一つに数えられ、1788年(天明八年)の天明の大火で皇居が燃えた際には、当寺に仮の御所が置かれている。 庭園が有名で春や秋には夜間ライトアップされる。国宝に不動明王二童子像がある。 |
見どころ | 本堂、小御所、庭園、宸殿、好文亭、植髪堂、将軍塚 |
拝観時間 | 9時~17時。夜間特別拝観18時~22時。 |
拝観料 | 大人500円、中高生400円、小学生200円。夜間特別拝観800円。 |
サイト | http://www.shorenin.com/ |
住所 | 京都府京都市東山区粟田口三条坊町69-1 |
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青蓮院の見どころ
本堂(熾盛光堂)
境内南側に建つ建物で、内部には本尊で秘仏の熾盛光曼荼羅を安置する。
堂裏には園城寺(三井寺)の黄不動、高野山明王院の赤不動と共に日本三不動の一つに数えられる不動明王童子画像(青不動)が掛けられている。(ただこれは複製で本物は将軍塚の青龍殿に納められている)。
大きさは縦203.3cm、横148.4cmで、岩座に座る不動明王とその左右に立つ二童子を描く。作者は不明だが、十一世紀ごろの作とされ国宝に指定されている。
小御所
元は門主の居間として使われていたという場所で、1788年(天明八年)の天明の大火で皇居が焼失した後しばらく、仮御所として後桜町上皇が使用した。
ただ、その建物は1893年(明治二十六年)に焼失し、現存のものは江戸中期の建物を移築しての再建。
庭園
小御所の東側には相阿弥(???-1525年)作と伝えられる龍心池を中心とした池泉回遊式庭園があり、池の北側には小堀遠州(1579-1647年)作と伝えられ霧島の庭がある。
霧島の庭はその名の通りキリシマツツジが植えられており、五月には赤い花が一面を染める。
宸殿
東福門院(後水尾天皇中宮)の御所を移築した建物が1893年(明治二六年)に焼失した後再興されたのが現存のもので、入母屋造桟瓦葺の境内で一番大きな建物。
内部には住吉具慶あるいは狩野寿石作とされる障壁画浜松図や具慶作とされる祇園会山鉾図が飾られている。
好文亭
庭園の南側に位置する茶室で、1772年(明和九年)、34世尊真法親王によって建てられ、後桜町上皇が青蓮院を仮御所とした際、学問所として使用された。
1993年(平成五年)、中核派による放火で焼失したが、2年後に復元された。内部には上村淳之作に花鳥図がある。
植髪堂
浄土真宗の宗祖である親鸞が青蓮院で得度した際に切り落とした髪を植え付けた親鸞上人童形像を安置するお堂。
将軍塚
青蓮院の飛び地境内で、円山公園の東側の山中にあり、大日堂や青龍殿が建つ。
794年(延暦十三年)に行われた平安京への遷都に先立って和気清麻呂が桓武天皇を連れて下見をした場所だといわれており、都の鎮護のために鎧兜を着て太刀と弓矢を持たせた2.4メートル程の武将の像を粘土で作り土に埋めたことからこの名がある。
御朱印・御朱印帳
種類 | ①「熾盛光如来」、②「青不動」、③「親鸞聖人植髪尊像」、④「大日如来」 |
入手場所 | ①、②は青蓮院の拝観受付、③青蓮院内の植髪堂?、④は将軍塚 |
値段 | 1件300円 |
オリジナル御朱印帳 | シンプルなデザインのオリジナル御朱印帳があります。 |
歴史
伝教国師最澄が比叡山を開いた時、住坊として東塔南谷に建てた青蓮坊が始まりで、1150年(久安六年)12代行玄の時に門跡寺院となり、青蓮院と称し山下にも堂宇が建てられるようになった。
最初三条白川にあったが、1205年(元久二年)慈円によって現在地付近に移されて、山上の本坊が無くなるとこちらが青蓮院と称されるようになった。
第一世の門主の行玄(摂関家出身)は鳥羽上皇の信任篤く、上皇の第七皇子覚快法親王を預かり、二世門主とした。以後門主は五摂家と皇族にほぼ限られ門跡寺院として高い寺格を誇った。
「愚管抄」の著者としても知られる三世慈円の時に最も栄え、多くの門人を抱えた。また十七世門主の尊円法親王は書の達人として知られその書法は青蓮院流と呼ばれ、室町幕府第六代将軍足利義教は将軍になる以前、義円と称して当時の門主を務めていた。
1788年(天明八年)、天明の大火で皇居が燃えた際には当寺に後桜町上皇の仮御所が置かれた。明治に入ると上知で寺地を大幅に縮小し、1893年(明治二十六年)には火災で多くの堂宇を失った。
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