八坂神社

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基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


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種類 神社
アクセス 京阪祇園四条駅より徒歩5分。阪急河原町駅より徒歩8分。市バス祇園下車すぐ。常磐新殿横に駐車場あり(10時~17時、600円/1時間)。
概要 八坂神社は京都市東山区祇園町に鎮座する神社で、全国に2000以上ある八坂神社の総本社。
明治以前は祇園社や感神院と称されたが、神仏分離の影響で1868年(明治元年)に八坂神社と改称した。
社伝によれば、656年(斎明天皇二年)に渡来人の伊利之が新羅の牛頭山の神を山城国愛宕郡八坂郷に祀ったことに始まるとされる。
祭神は素戔嗚尊(牛頭天王、中座)、櫛稲田姫命(東座)、神大市比売命・佐美良比売命(同座)、八柱御子神(西座)、稲田宮主須賀之八耳神(傍座)。
主な年中行事に白朮祭(1月1日)疫神社祭(1月19日)、例祭(6月15日)、祇園祭(7月1日~31日)、祇園社観月祭(中秋の名月の日)、舞楽奉納(11月3日)、新嘗祭(11月23日)がある。
見どころ 石鳥居西楼門本殿疫神社悪王子社忠盛灯籠美御前社祇園祭
拝観時間 境内自由(社務所等は9時~17時)
拝観料 無料
サイト http://www.yasaka-jinja.or.jp/
住所 京都市東山区祇園町北側625

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八坂神社の見どころ

石鳥居

本殿南側の正面入口に立つ高さ9.5mの大鳥居。
1646年(正保三年)の建立。1662年(寛文二年)に地震で倒壊したが1666年(寛文六年)に修復された。日本三大石鳥居のひとつ。

西楼門

本殿の西側、四条通りの突き当たりに建つ切妻造の門。
1497年(明応六年)の再建で、左右の翼廊はのちに付け加えられたもの。夜叉門、篭門とも。

本殿

1654年(承応三年)の再建。
別棟だった本殿と拝殿を入母屋屋根で一つに繋いだ祇園造とも呼ばれる特殊な構造をしている。
内陣、外陣に別れ、内陣には素戔嗚尊、櫛稲田姫命、神大市比売命、佐美良比売命、八島篠見神、五十猛神、大屋比売神、抓津、比売神、大年神、宇迦之御魂神、大屋毘古神、須勢理毘売命、稲田宮主須賀之八耳神を祀る。

疫神社

八坂神社の末社の一つで、蘇民将来を祀る。
毎年7月31日には、鳥居に設けられた輪をくぐって厄を払い、「蘇民将来子孫也」と書かれた護符を貰い無病息災を祈る夏越祭が行われる。

悪王子社

末社のひとつで素戔嗚尊の荒玉を祀る。
元は東洞院四条下ル元悪王子町にあったが、天正年間(1573-93年)に烏丸通万寿寺下ル悪王子町に移り、さらに1596年(慶長元年)には四条京極に移転し、1877年(明治十年)に八坂神社境内に落ち着いた。

忠盛灯籠

大神宮社近くにある灯籠。
平安時代に白河法皇が当社の近くを通りかかった時、鬼のようなものを見てお供をしていた平忠盛に討つとるよう命じたところ、それは鬼ではなくこの灯籠に油をさそうとしていた祇園社の社僧だったという話が伝えられている。

美御前社

末社のひとつで弁財天と同一視される市寸島比売命(いちきしまひめ)と多岐都比売命(たぎつひめ)、多紀理毘売命(たきりびめ)の宗像三女神を祀る。
古くから祇園の舞子や美しくなりたい女性の信仰を集めているといい、社殿前の「美容水」を肌につければご利益があるといわれている。

祇園祭

毎年7月1日~31日まで行われる八坂神社のお祭り。
元々は祇園御霊会と呼ばれ、869年(貞観十一年)に疫病が流行した際、これを沈めるために神泉苑に卜部日良麿が国の数を表す66本の鉾を立て牛頭天王を祀ったことに始まるとされる。
明治の初めには廃仏毀釈の影響で祇園御霊会から祇園祭に改称させられ、現在では山鉾巡行など一ヶ月に渡って様々な行事が行われる。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「祇園社」、②「悪王子社」、③「美御前社」、④「又旅社朱印」、⑤「冠者殿社」、⑥「御霊会」(祇園祭限定)、⑦「青龍」(1日限定100枚)。
入手場所 境内授与所。
値段 1件300円(⑦は500円)
オリジナル御朱印帳 数種類あり。
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歴史

社伝によれば656年(斎明天皇二年)、高麗から来日した調進副使・伊利之が新羅牛頭山の神を山城国愛宕郡八坂郷に祀ったことに始まるとされ、また別の説によれば、876年(貞観十八年)、常住寺の僧円如が八坂郷に観慶寺(祇園寺)を建て、藤原基経が精舎を寄進したのが始まりといわれる。
970年(天禄元年)頃から厄病を鎮めるための御霊会が盛んになりると広く信仰を集め、二十二社の一つに列せられた。
平安時代には、はじめ興福寺、ついで比叡山延暦寺の支配下に置かれ、足利義満が1384年(永徳四年)に独立させるまでその関係が続いた。
明治になって神仏分離令が発せられると、薬師堂(観慶院)は撤去され、牛頭天王も素戔嗚尊とされるなど仏教的な要素は一掃され、社領も上知令によって減少した。
近代社格制度のもとでは1871年(明治四年)に官幣中社に列せられ、1915年(大正四年)には官幣大社となっている。
建造物では、本殿、石鳥居、西楼門、蛭子社社殿が重要文化財に指定されている。他にも祇園社絵図、洛中洛外図屏風、円山応拳筆双鶏図、豊後国行平作の太刀など貴重な文化財・美術品は多い。

 
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