松本城

松本城城内マップ

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基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


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種類 城・史跡
アクセス JR篠ノ井線松本駅から徒歩15分または松本周遊バスタウンスニーカー北コースで「松本城・市役所前」下車すぐ。周辺に有料駐車場複数あり。
概要 松本城は長野県松本市丸の内にある城。
16世紀前半に信濃国守護の小笠原氏が築いた深志城が前身で、一時武田氏の支配下にあったが、武田氏滅亡後小笠原氏が再び城主となり松本城と改称。江戸時代には松本藩の藩庁が置かれた。
江戸時代の天守が残されている城は極めて少なく、大天守・乾小天守・渡櫓・辰巳附櫓・月見櫓は国宝に指定されている。日本100名城のひとつ。烏城とも呼ばれる。
見どころ 太鼓門二ノ丸御殿跡松本市立博物館黒門市川量造・小林有也のレリーフ本丸御殿跡駒繋ぎの桜大天守渡櫓乾小天守辰巳附櫓月見櫓
拝観時間 通常8時30分~17時(入場は16時30分まで)、ゴールデンウィーク・夏季期間は8時~18時(入場は16時30分まで)、年末(12月29-31日)休城。
拝観料 大人610円、小中学生300円(団体割引あり)。
サイト http://www.matsumoto-castle.jp/
住所 長野県松本市丸の内

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松本城の見どころ

太鼓門

東側の出入り口に建つ門。
江戸時代にあって太鼓門は明治初めに破壊されており、現存の建物は1999年(平成十一年)の復元。

二ノ丸御殿跡

二ノ丸御殿は江戸時代初期に建てられたとみられ、本丸御殿が焼失した後には政務の場として使用され、明治維新後筑摩県庁として使われていたたが、1876年(明治九年)、不審火により焼失。
建物の復元計画は今のところ実現していないが、跡地は舗装され建物の形が部屋割りが分かるようになっている。

松本市立博物館

太鼓門左手には市営の博物館があり、松本城と共通の拝観券で入場可能となっている。松本の歴史に関する史料や文化財を展示。

黒門

本丸の入口に建つ門。
現存の建物は1990年(平成二年)に復元されたもので、屋根の瓦は修理の際に交換された天守閣の瓦を再利用したものという。

市川量造と小林有也のレリーフ

黒門入ってすぐのところにある石板に嵌め込まれたレリーフのこと。
市川量造は信飛新聞社の社長で、小林有也は松本中学校校長などを務めた人物。共に明治初期に取り壊されそうになった松本城の保存に尽力した。

本丸御殿跡

黒門の奥にはかつて本丸御殿があったが、1727年(享保十二年)に火災で失われ、以後再建されることはなかった。
現在、それらしいものは何も残されていないが、外縁に沿って瓦が並べられており建物の形が分かるようになっている。

駒繋ぎの桜

天守閣近くにある桜の木のこと。
加藤清正が松本城を訪れた際この木に馬を繋いでおいたことからその名がついたとされる(ただし現在の木は戦後植えられたもの)。

大天守

松本城の天守閣は大天守を中心に小天守や櫓が連結した連結複合式天守と呼ばれる構造となっている。
5重6階の大天守は1593~94年(文禄二~三年)に石川数正・康長父子によって建てられたものとされ(年代については他にも諸説ある)、実戦に備えて窓が少なく弓や鉄砲を撃つための狭間が多いのが特徴といわれる。内部では甲冑や鉄砲が展示されている。

乾小天守

乾小天守と小天守と大天守を繋ぐ渡櫓も戦国末期から江戸時代初期に建てられたものとされる。規模こそ小さいが大天守と同様構造となっている。

辰巳附櫓・月見櫓

辰巳附櫓と月見櫓は松本藩藩主松平直政が徳川家光が上洛の帰りに善光寺を詣でるため松本城に滞在する予定だった将軍徳川家光を迎えるため1634年(寛永十一年)に増築したものとされ、実戦向きの大天守と比べ装飾的な要素が多いのが特徴といわれる。

御朱印・御朱印帳

寺社ではありませんが、松本城では御朱印を貰うことができます。

種類 「国宝 松本城」の1種類(書置きのみ)。
貰える場所 黒門入ってすぐの松本城管理事務所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 ないようです。
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歴史

松本は古くから信濃国の中心だった場所であり、松本城の前身である深志城は戦国時代初期に信濃国守護の小笠原氏が林城の支城と家臣の島立氏に築かせたものとされる。
1550年(天文十九年)、信濃に侵攻した甲斐の武田信玄が小笠原氏を追放し当地を領国化すると林城を廃して深志城の拡充を図り、家臣を城代として置いた。
1582年(天正十年)に武田氏が滅亡すると徳川家康の家臣となっていた小笠原貞慶が失地を回復し、この頃深志城から松本城に改称された。
1590年(天正十八年)の小田原攻めで北条氏が滅亡した後、豊臣秀吉の提案した領地替えにより家康が関東へ移ると貞慶も下総国古河へ転封となり、松本城へは秀吉の家臣・石川数正が入った。
江戸時代になると松本藩の藩庁及び藩主の居城として使用されるようになり、初期には度々藩主が代わったが、1726年(享保十一年)に戸田光滋が藩主となって以降は戸田氏が藩主を世襲した。
明治維新後廃城となり、1872年(明治五年)には天守が競売にかけられるなど解体の危機に陥ったが、市川量造ら地元の有力者らによって買い戻され、老朽化が進んでいたため、1903年(明治三十六年)から1913年(大正二年)にかけて地元の人々の支援で「明治の大改修」が行われた。

 
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