諏訪大社

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基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


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種類 史跡
アクセス 秋宮→JR中央本線下諏訪駅から徒歩10分、春宮→下諏訪駅から徒歩20分。上社本宮・前宮→中央本線上諏訪駅から上社経由大熊行バスで「上社前」下車。各社駐車場あり。
概要 諏訪大社上社は長野県の諏訪湖周辺にある神社で 上社本宮、上社前宮、下社秋宮、下社春宮の四宮から成る。
正確な創建年代は不明。祭神の建御名方は国譲りの際に建御雷に敗れて信濃国に逃れたと「古事記」などに記されている神であり、古代から存在していたものとみられる。
全国に1万社余りあるとされる諏訪神社の本社であり、寅と申の年に行われる御柱祭は多数の死者を出している荒々しい行事として有名。
見どころ 下社秋宮神楽殿下社秋宮幣拝殿下社秋宮宝物殿下社春宮下馬橋下社春幣拝殿万治の石仏上社本宮四脚門上社本宮拝殿上社前宮本殿
拝観時間 境内自由(祈祷受付は9時~16時)。
拝観料 境内自由。
サイト http://suwataisha.or.jp/
住所 長野県諏訪市、諏訪郡、茅野市

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諏訪大社の見どころ

下社秋宮 神楽殿

1835年(天保六年)の建立で国の重要文化財に指定。手前にある青銅製の狛犬は日本一の大きさともされる。

下社秋宮 幣拝殿・左右片拝殿

現存の建物は、1781年(安永十年)の再建で、同じく国の重要文化財に指定。
秋宮に本殿はなく、イチイの木を御神木として建御名方神・八坂刀売神・八重事代主神を祀る。

下社秋宮 宝物殿

秋宮に伝わる文化財を収蔵、展示する施設。
収蔵品には、平安時代初期に平城天皇から贈られたものとされる「賣神祝印」と刻まれた銅印(重文)などがある。

下社春宮 下馬橋

御手洗川にかかる橋のことで、太鼓橋とも呼ばれる。
室町時代の建立で、江戸時代中期に補修されているといわれ、下諏訪町指定有形文化財となってういる。

下社春宮 幣拝殿・左右片拝殿

現存の建物は1780年(安永九年)の再建。
同じく本殿はなくスギの木をご神体とする。祭神のひとり八坂刀売神(建御名方神の妃)は2月から7月まで春宮に、8月から1月まで秋宮に鎮まるとされる。

万治の石仏

春宮近くにある万治三年(1660年)の銘を持つ石像のこと。
春宮の石鳥を造る際にこの石を使おうとしたてノミを入れたところ血を流したので、驚いた大工が阿弥陀如来を刻んで祀ったものとも伝えられる。
かつては地元の人以外にはさほど知られていなかったが、1974年(昭和四十九年)に御柱祭を見るため当地を訪れた芸術家・岡本太郎が絶賛したことから注目を集め、今では人気の観光スポットとなっている。

上社本宮 四脚門

勅使門とも呼ばれ、徳川家康の寄進で1608年(慶長十三年)に建てられたものと伝えられる。重要文化財に指定。

上社本宮 拝殿

現存の建物は1838年(天保九年)の再建。
下社と同じく本殿はなく、守屋山を御神体として建御名方神・八坂刀売神 を祀る。

上社前宮 本殿

現存の社殿は1932年(昭和七年)に伊勢神宮の古材を用いて建てられたもの。
前宮は現人神とされた大祝(おおほうり)の館があった場所で、諏訪信仰発祥の地と伝えられている。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「諏訪神社 下社春宮」の御朱印、②「諏訪神社 下社秋宮」の御朱印、③「諏訪神社 上社本宮」の御朱印、④「諏訪神社 上社前宮」の御朱印(御柱祭期間限定の樅の木に書かれる御朱印あり)。
貰える場所 ①春宮の社務所、②秋宮の社務所、③本宮の社務所、④前宮の社務所(16時以降は本宮で頂けるようです)。4社の御朱印を全て集めると落雁が貰える。
値段 1件500円(木の限定御朱印は1000円)。
オリジナル御朱印帳 シンプルなデザインの御朱印帳があります。大サイズが2000円、小サイズが1000円。
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歴史

「古事記」などに登場する建御名方神に関する物語は以下のようなもの。葦原中国を平定するため高天原から遣わされた建御雷神が葦原中国の主である大国主神に国譲りを迫った際、大国主の子である建御名方神は建御雷神に力比べを挑んだが敗れてしまう。建御名方は恐れをなして科野国(信濃国)まで逃げたものの州羽海(諏訪湖)近くで追い詰められ、殺されそうになったが、父の決めたことに背かないこと、国外に出ないことを誓って許された(「日本書紀」や「出雲風土記」にこの話が一切登場しないことから出雲とは無関係の当地の神話を国譲りの話にからめて挿入したものとする説もある)。
「日本書紀」に691年(持統五年)に使者を送って須波神を祀ったとあるのが当社に関する最も古い記録で、927年(延長五年)成立の延喜式神名には名神大社として記載され、信濃国一宮とされている。
古くから神官・大祝を務めてきた諏訪氏は鎌倉時代になると幕府と関係を深めて武士団化し、各地に当社を勧請して諏訪神社が建てられるようになった。
また中世には神仏習合が進み、上社では普賢菩薩、下社では千手観音が本地仏とされた。
戦国期には武田氏の支配下に置かれ、1582年(天正十年)には武田領に攻め入った織田信忠軍によって上社が放火された。
江戸時代になると徳川家康により上社1000石、下社500石の社領を安堵され、諏訪藩(高島藩)から保護された。
明治維新後に作られた近代社格制度の元では1871年(明治四年)に国幣中社に列せられ、1896年(明治二十九年)に官幣中社、1916年(大正五年)に官幣大社に昇格している。

 
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