善光寺

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基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


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種類 寺院(単位)
アクセス JR長野駅から善光寺方面行きバスで「善光寺大門」下車または徒歩30分。長野電鉄長野線善光寺下駅から徒歩12分。駐車場あり(バス2時間まで2500円、乗用車2時間まで500円、バイク300円)。
概要 善光寺は長野県長野市元善町にある単立寺院。
正確な創建年代は不明。寺伝によれば、三国伝来の本尊一光三尊阿弥陀如来像が642年(皇極天皇元年)に当地に移されたのが始まりとされる。
中世には武家の崇敬篤く、江戸時代になるとなると広く庶民の信仰も集めて善光寺詣りが盛んに行われた。
善光寺自体は特定の宗派に属さない寺院であり、天台宗の大勧進と浄土宗の大本願によって運営される。
見どころ 石畳大本願仁王門釈迦堂延命地蔵尊駒返り橋山門大勧進経蔵本堂善光寺史料館
拝観時間 境内自由。山門9時~16時。本堂は季節により変動(6時~16時頃)。
拝観料 境内自由。山門楼上→大人500円、高校生200円、小中学生50円、本堂内陣→大人500円、高校生200円、小中学生50円、共通券→大人1000円、高校生400円、小中学生100円。大本願宝物館は大人500円 小中高生100円。大勧進宝物館は大人200円、高校生100円、小中学生50円。
サイト https://www.zenkoji.jp/
住所 長野県長野市元善町491

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善光寺の見どころ

石畳

善光寺の参道は石畳となっているが、このうち境内入口から山門までの部分は1714年(正徳四年)に江戸中橋上槙町(現在の日本橋3丁目付近)の大竹屋平兵衛が、山門から本堂までの部分は1713年(正徳三年)に腰村西光寺の住持・欣誉単求が寄進したものであり、長野市の史跡に指定されている。
敷石には西長野郷路山産の安山岩が使われ、その総数は7777枚あると伝えられている。

大本願

善光寺の本坊のひとつである浄土宗の寺院。
寺伝によれば、本尊の一光三尊阿弥陀如来像が当地に移され善光寺が創建される際に蘇我馬子の姫君を遣わせて守護にあたらせたのが始まりとされる。
以来女性のみが入寺できる尼寺であり、皇族や貴族が代々住持を務めてきた。本堂には阿弥陀如来像、善導大師像像、法然上人像像などを安置。

仁王門

1752年(宝暦二年)に建てられたのがはじめだが、1847年(弘化四年)の地震と1891年(明治二十四年)の火災で失われ、現存の建物は1918年(大正七年)の再建。
表裏の左右に安置される阿吽の仁王像、三宝荒神像、三面大黒天像は高村光雲(高村光太郎の父)とその弟子・米原雲海の作。

釈迦堂

仁王門を入り仲見世通りを途中で右折したところにある寺院(正式には世尊院という)。
堂内には鎌倉時代の作で国の重要文化財に指定されている銅造釈迦涅槃像(寺伝によれば973年(天延三年)に越後国古多ヶ浜で漁師の網にかかったものとされる)や善光寺七福神のひとり毘沙門天象などを安置する。

延命地蔵尊

仲見世通り中央左側にある露座の地蔵菩薩像。
ここはかつて善光寺の本堂があった場所であり、本堂移転後の1712年(正徳二年)に延命地蔵が置かれるようになったという(現存の像は1949年(昭和二十四年)に造られたもの)。

駒返り橋

仲見世通りの終着点にある小さな石橋。
1197年(建久八年)に源頼朝が善光寺を参詣した際、馬の蹄がこの橋の穴にはまってここから先は馬を降りていくことになったため「駒返り橋」と呼ばれるようになったと伝えられる。

山門(三門)

本堂手前に建つ正面三間、側面五間の重層門。
1744(延享元年)に着工し、1750年(寛延三年)に完成。国の重要文化財に指定。
楼上に掲げられている「善光寺」の額は輪王寺宮公澄法親王の筆で、文字の中に5羽の鳩が隠れていることから「鳩字の額」と呼ばれ、「善」の字が牛の顔のようにみえるともされる。

大勧進

善光寺の本坊のひとつであつ天台宗の寺院。
善光寺と同時に創建されたと伝えられ、817年(弘仁八年)に伝教大師(最澄)が善光寺を訪れたのを機に天台宗の寺となったとされる。
境内には萬善堂(本堂)、護摩堂、紫雲閣、宝物館などがある。

経蔵

建物は1759年(宝暦九年) の建立で重要文化財に指定。
内部には一切経を納める輪蔵と呼ばれる回転式書架があり、輪蔵を一回まわせば一切経を全て読んだのと同じ功徳があるとされる。

本堂

現存の建物は1707年(宝永四年)の再建。国内最大級の木造建築物であり、国宝に指定されている。
内部は外陣、内陣、内々陣に別れ、内々陣の瑠璃壇に絶対秘仏の本尊一光三尊阿弥陀如来像が祀られ、その隣の御三卿の間には善光寺の開山とされる本田善光像とその妻である弥生御前像、息子の善佐像が安置されている。
善光寺の本尊は天竺(インド)で月蓋長者によって造られ、百済の聖王から日本に贈られたが、廃仏派の物部氏によって捨てられ、これを拾った本田善光が当地へもたらしたという日本最古とされる仏像で、鎌倉時代以降これを模した善光寺式阿弥陀三尊像が各地で造られた。

善光寺史料館・日本忠霊殿

本堂背後に位置する建物。
1階は善光寺史料館となっており、善光寺に関する歴史資料を展示するが、戊辰戦争から第二次世界大戦までの戦死者を祀る慰霊塔でもある。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「善光寺」の御朱印(本堂)、②御詠歌の御朱印、③「文殊菩薩」の御朱印(山門)、④「撫佛」の御朱印(びんずる尊者)、⑤「おやこ地蔵」の御朱印、⑥季節限定御朱印、⑦「善光寺本師如来」の御朱印、⑧「文殊菩薩」の御朱印、、⑨「涅槃釈迦如来」の御朱印、⑩「毘沙門天」の御朱印、⑪「不動尊」の御朱印、⑫「善光寺如来」の御朱印。
貰える場所 ①~⑥が本堂内または本堂手前の授与所、⑦、⑧が大本願の御朱印所、⑨、⑩が釈迦堂の堂内朱印所、⑪、⑫が大勧進の授与所。
値段 通常のものは1件300円、季節限定バージョンは1件500円。
オリジナル御朱印帳 サイズ、柄ともに数種類のオリジナル御朱印帳が販売されています。値段は1500~2000円。
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歴史

寺伝によれば、本尊の阿弥陀如来像は552年(欽明天皇十三年)に百済から日本に贈られ、廃仏はの物部氏によって難波の堀江に投棄されるが、602年(推古天皇十年)に信濃国司の従者として上洛していた本田善光がたまたま通りかかった際に発見して信濃国に持ち帰ったものとされ、はじめは麻績の里(現長野県飯田市、元善光寺)の善光の自宅に祀られていたが、642年(皇極天皇元年)に現在へ移され、644年(皇極天皇三年)に伽藍が完成したという。
史料の上で善光寺の存在を確認できるのは平安時代末期以降となるが、境内からは奈良時代のものとみられる古瓦も発見されている。
1179年(治承三年)に火災に遭い諸堂を失ったが、鎌倉幕府の支援で再建され、1197年(建久八年)には将軍源頼朝が自ら参詣するなど武家の信仰篤く、各地に「善光寺」「新善光寺」が建てられた。
戦国時代には武田信玄と上杉謙信の争いに巻き込まれ荒廃。1555年(弘治元年)に信玄が寺の組織や仏像類を甲府へ移して以降、本尊は各地を転々とすることになり、1597年(慶長二年)には京都の方広寺にあったが、豊臣秀吉が死の直前に信濃に戻すよう命じたといわれ、翌1598年(慶長三年)に善光寺に戻された。
江戸時代になると幕府の保護を受けて復興され、庶民の間に善光寺参りが広まり、多くの参拝者で賑わうようになった。

 
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