薬師寺

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基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


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種類 寺院(法相宗)
アクセス 近鉄橿原線西ノ京駅すぐ。駐車場あり(バス2200円、中型車2000円。乗用車500円、バイク100円)。→詳細
概要 薬師寺は奈良県奈良市西ノ京町にある寺で、興福寺と共に法相宗の大本山となっている。
天武天皇の発願で造営が開始され、698年(文武天皇二年)頃には藤原京でほぼ完成にいたったが、平城京への遷都に伴って718年(養老二年)、現在地に伽藍が建立された。
1528年(享禄元年)に筒井順慶軍の兵火によって多くの伽藍が焼失したため、東塔を除いて古い建造物は少ないが、仏像などは貴重な文化財が数多く残されており、1998年(平成十年)には「古都奈良の文化財」の一部としてユネスコの世界文化遺産に登録されている。
見どころ 金堂大講堂東塔西塔東院堂大宝蔵殿玄奘三蔵院伽藍休ケ岡八幡宮
拝観時間 8時~17時(入場は16時30分)
拝観料 大人800円、中高生500円、小学生200円(玄奘三蔵院伽藍公開時は大人1100円、中高生700、小学生300円)
サイト http://nara-yakushiji.com/
住所 奈良県奈良市西ノ京町457

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薬師寺の見どころ

金堂

現存の建物は1976年(昭和五十一年)の再建で、正面7間、側面4間重層入母屋造、各層に裳階を付ける。内部には本尊の薬師如来座像(254.7cm)と脇侍の日光菩薩(317.3cm)・月光菩薩(315.5cm)から成る銅造薬師三尊像(国宝)が安置されている。この薬師三尊像については、680年(天武天皇九年)に発願された時に造られ平城遷都の際に移されたとする説や710年(和銅三年)の遷都後に堂とともに新たに造られたとする説があるが、685年(天武天皇十四年)に造られた興福寺蔵の旧山田寺仏頭などと比べて技法がより巧みなことから後者の説の方が有力だという。薬師如来の台座には、中国の四方四神、ギリシャの葡萄唐草文様、ペルシャの蓮華文様、南方系の裸人などが描かれており、国際性豊かな意匠となっている。

大講堂

2003年(平成十五年)の再建で、正面41m、奥行20m、高さ17mある巨大な建物。内部には白鳳~天平時代に造られたとされる弥勒三尊像(重文)や2002年(平成十四年)に彫刻家の中村晋也によって造られた釈迦十大弟子像を安置する。また後堂には、釈迦が初めて説法したインドの鹿野苑の仏足跡の模写をもとに753年(天平天勝五年)に刻まれた仏足石とそれを礼賛する仏足跡歌碑(いずれも国宝)が納められている。仏足石とは釈迦の足跡を石に刻んだもので仏像が造られるようになる以前に信仰の表現としてよく造られた。

東塔

中門を入って右側に位置する塔の事で、創建時から残る唯一の遺構。高さは相輪を含めて約34mあり、三重塔だが各層に裳階を設けているため六重塔のようにも見える。相輪の更に上部にある水煙と呼ばれる飾りには24体の飛天が透かし彫りされており、傑作として名高い。また、相輪中心部の柱には東塔擦銘と呼ばれる銘文が刻まれており、薬師寺の創建に纏わる話が記されている。2019年(平成三十一年)までの予定で解体修理工事が行われているため、現在は拝観できない。

西塔

東塔の反対側に位置する塔で、1528年(享禄元年)に焼失した後、長らく礎石のみとなっていたが、1981年(昭和五十六年)に再建された。高さは約36m、新しいだけあって色鮮やかなのが特徴。塔内には、釈迦が一生のうちに経た八つの段階(釈迦八相)のうち後半の四相を表現した、中村晋也による仏像群が安置されている。普段は見れないが、特別公開されることがある(その場合別途拝観料が必要)。

東院堂

721年(養老五年)頃、吉備内親王が母である元明天皇の冥福を祈って創建したといい、現存の建物は1285年(弘安八年)の再建で、南に面していたものを1733年(享保十八年)に位置を移して西面としている。内部には、創建時頃の作と考えられインド・グプタ朝の様式の影響を受けているという本尊の聖観世音菩薩像(国宝)や鎌倉時代後期に造られた四天王像が安置されている。

大宝蔵殿

薬師寺に伝わる寺宝を治めている建物で、春や秋の一定期間のみ公開される(拝観料別途500円が必要)。所蔵の麻布著色吉祥天像(国宝)は奈良時代末期に描かれたものとされ、現存する数少ない奈良時代の絵画のひとつ。大宝蔵での特別公開以外では、正月に行われる吉祥悔過会(1月1日~15日)の際に金堂に移されて公開される。

玄奘三蔵院伽藍

法相宗の宗祖・玄奘三蔵を祀るための伽藍で、1991年(平成三年)に完成。三蔵法師として知られる玄奘は中国の僧で、629年(貞観三年)インドに向かいナーランダー僧院で唯識の教えなどを学び、645年帰国。弟子がまとめた旅行記「大唐西域記」はよく知られ、西遊記のモデルになったと言われている。中央に建つ玄奘塔は、戦時中に南京に駐留していた日本軍が発見したという玄奘の遺骨を納め、右手に筆、左手に貝葉(インドのお経)を持つ玄奘三蔵像を安置する。後方の大唐西域壁画殿には日本画家の平山郁夫(1930-2009年)によって描かれた壮大な大唐西域壁画が飾られている。

休ケ岡八幡宮

南門の南にある神社で、休ケ岡八幡宮・息長足姫命・仲日売姫を祀る。寛平年間(889~98年)に別当の栄紹が宇佐八幡を勧請して創建したとされ、薬師寺鎮守八幡とも呼ばれる。祭神を象った僧形八幡神像・神功皇后像・仲津姫命(いずれも国宝)は、奈良国立博物館に寄託されている。社殿は1596年(慶長元年)に豊臣秀頼の支援で再建されたもの。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「薬師如来」、②御詠歌の御朱印、③「弥勒佛」、④「聖観世音」、⑥「南無佛」、⑦「吉祥天女」、⑧「不東」、⑨「八幡大神」。他にも期間限定御朱印あり。
入手場所 ①~⑦は大講堂内にある納経所(⑦は大宝蔵殿公開時限定)、⑧は玄奘三蔵院(公開時限定)、⑨は休ケ岡八幡宮。
値段 1件500円
オリジナル御朱印帳 水煙がデザインされた御朱印帳があります。
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歴史

天武天皇は680年(天武天皇九年)、鵜野讃良皇后(後の持統天皇)の病気平癒を願って薬師寺の建立を発願したが、完成を待たずに天皇は亡くなり、持統天皇に引き継がれて藤原京で造営が続けられた。698年(文武天皇二年)には本尊の開眼供養が行われ、伽藍もほぼ完成したが、都が平城京へ遷ったことに伴って718年(養老二年)現在地に移された。
この時、元の伽藍を移築したとする説と新たに建てたとするがあるが、移転後も11世紀頃までは元の寺も本薬師寺として存続していたため後者の説の方が有力となっている。ちなみに本薬師寺の建っていた場所には今も礎石が残り特別史跡に指定されている。
その後も堂宇の建立が続き南都七大寺のひとつに数えられる大寺に発展したが、973年(天延元年)に南大門・経楼・鐘楼・僧房が焼失し、989年(永祚元年)に大風で金堂が破壊されるなど度々災害に遭った。
1528年(享禄元年)には、戦国大名の筒井順慶の軍に火をつけられて金堂・中門・講堂・西塔など多くの伽藍を焼失した。
その後、1545年(天文十四年)に仮金堂が建てられ、1852年(嘉永五年)講堂が完成したが、財政難から本格的な復興は行われず、昭和初期になっても境内は荒廃した状態だったといわれている。
しかし戦後になると、管主の橋本凝胤は復興を志し、それを引き継いだ高田好胤がお経勧進で資金を集めて、次々と伽藍を再建しかつての寺観を取り戻した。

 
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