岩槻城跡

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基本情報

知名度
平均評価


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種類 神社
アクセス 東武野田線岩槻駅から徒歩21分。
概要 岩槻城は埼玉県さいたま市岩槻区にかつてあった城。
1457年(長禄元年)に扇ヶ谷上杉家の家臣だった太田資清(道真)・資長 (道灌)親子が古河公方足利成氏に対抗するため築いたのが始まりとされ、1564年(永禄七年)には太田氏資が後北条氏の支援を受けて父と弟を追放し城主となり、氏資が戦死すると北条氏の支配下に入った。
1590年(天正十八年)に豊臣秀吉が小田原を攻めると岩槻城にも浅野長吉らの軍勢が押し寄せ、ほどなく落城。
領地替えにより徳川家康が関東へ入ると家臣の高力清長が岩槻城主となり、以後も譜代大名が城主を務め、1756年(宝暦六年)に大岡忠光が城主となって以降は大岡家の城主が続いた。
明治になると取り壊され、建物としては城門と伝えられる黒門や1770年(明和七年)に建てられた裏門が残るのみとなっている(移築されているので位置は違う)。
本丸のあった場所は住宅街になっており、桜の名所としても知られる岩槻城址公園は曲輪の一部だという。遺構としては土塁、空堀が残る。
見どころ 黒門、裏門、白鶴城記念碑、土塁、八ッ橋
拝観時間 境内自由
拝観料 境内自由
サイト http://www.city.saitama.jp
住所 埼玉県さいたま市岩槻区太田

 
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