大宮氷川神社

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基本情報

知名度 ★★★★
平均評価


0

種類 神社
アクセス JR・東武大宮駅から徒歩16分。東武野田線北大宮駅から徒歩10分。駐車場あり。
概要 大宮氷川神社は埼玉県さいたま市大宮区にある神社で関東を中心に多数ある氷川神社の総本社。
社伝によれば孝昭天皇三年(前473年?)の創建とされ、日本武尊が東征の際に蝦夷征服を祈願し、成務天皇の代には武蔵国造に任ぜられた出雲族の兄多毛比命が信仰を寄せたという(出雲国簸川から杵築大社を勧請したものともされる)。
平安時代に成立した延喜式神名帳には名神大社として記載されており、1180年(治承四年)には源頼朝が寄進を行うなど、中世以降東国の武士から崇敬され、各地に当社を勧請した氷川神社が建てられた。
江戸時代には幕府から祭りに葵紋を使うことを許されるなど格式ある神社として扱われ、明治になって成立した近代社格制度の元では官幣大社に列せられ、明治天皇も幾度か訪れている。
主な行事には、歳旦祭(1月1日)、節分祭(2月3日)、的神事(2月7日)、郷神楽祭(3月15日)、夏越大祓(6月30日)、例祭(8月1日)、大湯祭・十日市(12月10日)、年越大祓(12月31日)があり、初詣には多くの人で賑わう。
見どころ 武蔵国一宮の碑参道二の鳥居神池本殿門客人神社宗像神社
拝観時間 境内自由。楼門内部は、3、4、9、10月が5時30分~17時30分、5-8月が5時~18時、11-2月が6時~17時。お守り、御朱印の授与は8時30分~16時30分。祈祷は9時~16時。
拝観料 境内自由
サイト http://musashiichinomiya-hikawa.or.jp/
住所 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407

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大宮氷川神社の見どころ

武蔵国一宮の碑

参道入り口に建つ一の鳥居の手前にある石碑。
1722年(享保七年)に建てられたもので、かつては「氷川大明神」の横に「本地聖観音」と彫られていたが明治初めの廃仏毀釈によって削られ、明治になってから刻まれた「官幣大社」の字は戦後に埋め立てられた。
なお武蔵国一宮は東京都多摩市の小野神社とする説もありはっきりしない(大國魂神社は総社)。

氷川参道

旧中山道の県道164号から境内へ向かっては約2㎞の氷川参道が続く。
古くは松林だったといい、戦前は杉並木となったが大戦中の木材不足で伐採されるなどして減少し、戦後は一部に駅前の闇市から移転してきたバラックが建ち並んで荒れた状態となっていたが、その後整備が進められ、現在はケヤキを中心にクスノキ、エノキ、桜などが植えられ、秋には紅葉も美しい。

二の鳥居

さいたま市立博物館近くの参道に建つ巨大な鳥居。
1966年(昭和四十一年)に落雷で損傷した明治神宮の鳥居を1976年(昭和五十一年)に移築したもの。

神池

江戸時代中頃まで当地には見沼という巨大な沼があり、その岸辺に当社と中氷川神社(中山神社)、氷川女体神社が一直線に建ち、沼の水神を祀っていたともされる。
現在、楼門の手前にある神池は干拓されたこの見沼の名残りといわれている。

本殿

現存する社殿や楼門は1940年(昭和十五年)の建立で、それ以前は男体社、女体社、簸王子社の3社が氷川神社の中心をなしていたという。
祭神は、須佐之男命 (すさのおのみこと)・稲田姫命 (いなだひめのみこと)・大己貴命 (おおなむちのみこと)という出雲系の神で、出雲族が当地に入植したとされる歴史との関連が伺われる。

門客人神社

氷川神社の摂社のひとつ。
現在は稲田姫命の親神である足摩乳命(あしなづちのみこと)と手摩乳命(てなづちのみこと)を祭神とするが、かつては荒脛巾(あらはばき)神社と呼ばれ、古くからの地主神を祀っていたとする説もある。

宗像神社

神池の中島に建つ神社で、多起理比売命(たぎりひめのみこと)・市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)・田寸津比売命(たぎつひめのみこと)を祀る。

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御朱印・御朱印帳

種類 武蔵一宮「氷川神社」の1種類。
貰える場所 拝殿右手の授与所。
値段 1件300円(紙で貰う場合は500円)
オリジナル御朱印帳 楼門が描かれた御朱印帳と雲がデザインされた御朱印帳があります。値段はいずれも御朱印代抜きで1000円、サイズは16×11㎝。

 
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