駿府城跡

駿府城公園城内マップ

[spp]

基本情報

知名度 ★★★★
平均評価


0

種類 城跡
アクセス JR東海道本線静岡駅から徒歩15分。静鉄新静岡駅から徒歩12分。専用駐車場なし。
概要 駿府城は静岡県静岡市葵区にかつて存在した城。
駿河国を手に入れた徳川家康が1585年(天正十三年)に築城を始め、1589年(天正十七年)に完成。その後、家康は江戸に移るが、将軍を秀忠に後、江戸城から駿府城に戻り、大御所政治の舞台となった。
江戸時代初期に火災に遭って以降、天守は再建されず、残されていた建物の多くも明治期に取り壊されたが、現在は駿府城公園として整備されており、いくつかの建物が復元されている。
見どころ 東御門巽櫓坤櫓徳川家康像天守跡紅葉山公園
拝観時間 9時~16時30分(入園は16時まで)、月曜(祝日の場合翌日)休園。
拝観料 園内自由。東御門・巽櫓→大人200円、小人50円、坤櫓→大人100円、小人50円、紅葉山庭園→大人150円、小人50円、共通券→大人360円、小人120円。
サイト http://sumpu-castlepark.com/
住所 静岡県静岡市葵区駿府城公園

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駿府城公園の見どころ

東御門

二ノ丸の東に位置する門。現存の建物は1996年(平成八年)に再建されたもの。

巽櫓

東御門の近くにある櫓。
1989年(平成元年)に再建されたもので、内部には関連資料などが展示されている。

坤櫓(ひつじさるやぐら)

二ノ丸の南西隅に位置する櫓(坤は方角を表す)。
2014年(平成二十六年)に復元されたもので、初層内部では映像を使用した展示などがなされている。

徳川家康像

天守跡近くには1973年(昭和四十八年)に静岡市観光協会によってたてられた徳川家康の銅像があり、その傍らには家康手植えのミカンの木がある。

天守跡

築城当初の天守閣は1607年(慶長十二年)に燃え、その後再建された天守も1635年(寛永十二年)の火災で失われて、以後は再建されんかった。
平成になってから再建計画が持ち上がったこともあったが、駿府城の天守閣がどのな形態であったのかに関する資料も少なく、現在まで復元されていない。

紅葉山公園

城内にある大名庭園風の庭園。
紅葉の名所として知られ、秋の紅葉シーズンには多くの人が訪れる。また、椿、サクラ、サツキ、牡丹、ショウブ、アジサイなどの花々も楽しめる。

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歴史

駿府城公園のある場所は、駿河守護で戦国大名化した今川氏の館があったところといわれ、今川氏滅亡後、駿河国へ侵入した武田氏が1582年(天正十年)に織田・徳川軍に敗れると駿河国は家康の所領となった。
1585年(天正十三年)、家康は松平家忠を奉行として駿府城の築城を開始し、1589年(天正十七年)には完成したが、1590年(天正十八年)の豊臣秀吉による小田原攻めの後、領地替えによって関東へ移ったため秀吉の家臣・中村一氏が城主となった。
1600年(慶長五年)の関ヶ原の戦いの後、 家康の異母弟ともいわれる内藤信成が城主となり、1607年(慶長十二年)には秀忠に将軍職を譲った家康が入城して大御所政治の舞台となった。
家康の死後、第二代将軍徳川秀忠の三男忠長が城主となったが、1631年(寛永八年)に粛清され、以後は幕府の直轄地として城主は置かれず、1635年(寛永十二年)の火災後、天守は再建されなかった。
明治維新後、静岡市に払い下げられ公園となったが、1896年(明治二十九年)には陸軍歩兵第34連隊の駐屯地として使われることとなり、堀は埋め立てられ、多くの遺構が取り壊された。
第二次大戦後、再び静岡市に払い下げられ、現在は駿府城公園として整備されている。

 
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