小田原城

小田原城城内マップ

[spp]

基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


0

種類 城跡
アクセス JR東海道線・小田急小田原線小田原駅から徒歩12分。
概要 小田原城は神奈川県小田原市にかつてあった城。
いつ頃築城されたかは不明だが、室町時代後期に相模の国へ進出した後北条氏により近世的な城として整備され、1590年(天正十九年)に後北条氏が滅びた後は小田原藩主の居城となり、明治初めに取り壊された。
現在は昭和期に建てられた復元天守閣があり、周囲の公園は桜の名所としても知られる。また何故か象が飼われている。
見どころ 馬出門銅門常盤木門天守閣小田原城歴史見聞館
拝観時間 天守閣内部などは9時~17時
拝観料 天守閣→一般500円、小中学生200円、小田原城歴史見聞館→一般300円、小中学生100円、常盤木門SAMURAI館→一般200円、小中学生60円、3館共通券→一般700円、小中学生250円
サイト http://city.odawara.kanagawa.jp/
住所 神奈川県小田原市城内

[gad]

小田原城の見どころ

馬出し門

二の丸への入口に位置する門。
この奥には馬屋曲輪と呼ばれる曲輪があった。現存する建物は2009年(平成二十一年)の復元。

銅門

二の丸の正門にあたる櫓門。
敵の侵入を防ぐために手前に内仕切門を設け周囲を石垣で囲んで方形の空間を形成する桝形と呼ばれる形式で造られている。現存する門は1997年(平成九年)の復元。

常盤木門

本丸に入口に位置する門。
江戸時代初期に建てられたのがはじまりとされるが、現存するのは1971年(昭和四十六年)に復元されたもの。
2階は常盤木門SAMURAI館と名付けられた展示スペースになっており、刀や甲冑などの武具が展示されている。

天守閣

1706年(宝永三年)に再建された天守閣は1870年(明治三年)に取り壊され、現存する建物は小田原市によって1960年(昭和三十五年)に再建されたもの。
江戸時代の設計図を元にしているが、最上層の高欄付き廻縁は展望を図るために市の要望であらたに付け加えられたもの。地上38.7m、鉄筋コンクリート製。
内部は博物館となっており小田原城の歴史に関する資料などが展示されている。

小田原城歴史見聞館

小田原城址公園内にある博物館。小田原城の歴史や小田原北条氏の興亡は模型、映像などで解説する展示がなされている。

広告

歴史

はっきりしたことは不明だがはじめ当地には土肥氏の築いた城(館?)があったと見られ、1416年(応永二十三年)に起きた上杉禅秀の乱で土肥氏が禅秀側についたため乱後、鎌倉公方方の大森氏がこれを奪い相模に進出した(当時の小田原城は線路の向こうの八幡山にあったとみられる)。
さらに、伊豆に勢力を張った北条早雲(伊勢新九郎)が1495年(明応四年)に大森氏に攻撃を仕掛けて小田原城を奪い、弟の伊勢弥次郎を城主とした(小田原城が早雲の手に渡った時期などについては諸説ある)。
その後、1519年(永正十六年)に早雲が伊豆の韮山城で亡くなると家督を継いだ子の氏綱が城主となり、小田原城は後北条氏の本拠地として本格的に整備されていった。
1561年(永禄四年)、長尾景虎(上杉謙信)の軍勢が越後から攻め入り、1569年(永禄十二年)には甲斐の武田信玄軍が小田原城を包囲したがいずれも堅い守り助けたれ落城することはなかった。
しかし1590年(天正十九年)、天下統一を目指す豊臣秀吉が大軍を率いて攻め入り、3ヶ月に及ぶ籠城の後ついに落城し、後北条氏は滅亡した(この戦いにより戦国時代は終わりを告げた)。
その後、徳川家康が関東へ移ると小田原城には家臣の大久保忠世が入り、江戸時代には小田原藩の中心として栄えたが、明治初めのに取り壊され現在は一部遺構が残るのみとなっている。

 
[gad45]

広告