鑁阿寺

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基本情報

知名度 ★★★
平均評価


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種類 寺院(真言宗)
アクセス JR両毛線足利駅から徒歩12分。東武伊勢崎線足利市駅から徒歩16分。無料駐車場あり。
概要 鑁阿寺(ばんなじ)は栃木県足利市にある真言主大日派の寺院で、大日堂、大日様の通称でも知られる。
室町幕府の将軍家と知られる足利氏は清和源氏の一流で、源義家の孫にあたる義康が下野国足利荘を領して「足利」を名乗ったことに始まり、第2代当主足利義兼は源頼朝の挙兵に参加し鎌倉幕府の有力御家人となった。
当寺はその義兼が理真上人を招いて邸宅内に建てた持仏堂が始まりとされ、その子義氏以降本格的な寺院として整えられていき、室町将軍家や鎌倉公方家から氏寺として崇敬された(鑁阿は義兼の法名)。
戦国期になると庇護者を失って衰微し、江戸時代には京都醍醐寺の末寺として存続し60石の朱印地を認められたが、明治初期の廃仏毀釈運動により12あった支院は全て廃止され、本院を残すのみとなった。
境内は足利氏の館跡であり、土塁と堀が残るなど中世の武士の館の面影を残し、国の史跡に指定されているほか日本100名城にも選ばれている。
見どころ 南門北門本堂不動堂一切経堂多宝塔鐘楼
拝観時間 日中
拝観料 境内自由。
サイト http://ashikaga-bannaji.org/
住所 栃木県足利市家富町2220

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鑁阿寺の見どころ

南門(山門)

境内南側の入口に位置する三間一戸入母屋造の重層門。
足利幕府十三代将軍足利義輝の支援で再建されたものと伝えられ、左右には桃山時代の金剛力士(仁王)像を安置する。手前の太鼓橋は安政年間(1854-59年)の再建。

北門

境内北側入口に位置する門。1845年(弘化二年)の建立で、支院のひとつだった千手院の門を移築したもの。
鑁阿寺には東西南北に出入口があり、東門と西門は鎌倉時代の建築物とされる。

本堂

境内中央に位置する五間四方の巨大な御堂。
足利義兼の持仏堂持仏堂を子の義氏が5間の大堂に建て替えたのがはじまりとされるが、これは後に火災で焼失し、現存する建物は1299年(正安元年)の再建。
堂内には本尊の大日如来像や弘法大師像、興教大師像、基鑁阿上人(足利義兼)像及び明治以後廃寺のなった12の支院の本尊が安置されている。
建物は禅宗様仏堂の初期の作として評価が高く2013年(平成二十五年)に国宝に指定された。

不動堂

本堂の隣に位置する小さな御堂。
現存の建物は1593年(文禄元年)の再建で、堂内には成田山新勝寺から勧請された興教大師(覚鑁)作と伝えられる不動明王像を安置する。

一切経堂

鎌倉時代初期に足利義兼が妻の供養の為の一切経会を行うための道場として建てたのが御堂が前身とされるが、現存する建物は1407年(応永十四年)に再建されたもので、1708年(宝永五年)に大規模な修築が行われている。
堂内には歴代足利将軍像や一切経を納める輪蔵という回転式の書架がある。重要文化財に指定。

多宝塔

多宝塔とは下層が方形、上層は円形となっている二重塔のことで、この建物は1629年(寛永六年)の建立とされる(3代将軍徳川家光の側室で、5代将軍綱吉の生母である桂昌院の寄進ともされる)。
塔内には大日如来、至勢菩薩、十六羅漢や足利家及び徳川家歴代の位牌を祀る。栃木県指定重要文化財。

鐘楼

山門から入って右手の茂みの中にある鐘を吊るすための御堂。
吊るされている鐘は元禄年間(1688-1704年)の鋳造だが、建物は足利義兼によって1196年(建久七年)に建てられたものとみられている。重要文化財に指定。

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御朱印・御朱印帳

種類 ①「大日如来」の御朱印、②足利七福神「大黒天」の御朱印、③下野二十八番「聖観世音」の御朱印。
貰える場所 本堂左手の授与所。
値段 1件300円(大日如来は400円)
オリジナル御朱印帳 オリジナルかは不明ですが御朱印帳は置いてあるようです。

 
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