[spp]
基本情報
知名度 | ★★ |
平均評価 | |
種類 | 史跡 |
アクセス | 大手町駅すぐ。東京駅から徒歩11分。神田駅から徒歩15分。駐車場なし。 |
概要 |
千代田区大手町にある平将門の首塚(本来は古墳とされる)。 平将門は平安中期の武将。一族と争いを繰り返すなかで常陸の国府などを襲撃して関東を支配下に起き新皇を称したが、940年(天慶三年)、藤原秀郷や平貞盛に討たれた(承平天慶の乱)。 その後、将門の首を祀ったのがこの塚と伝えられ、様々な祟りの伝説を持ち、現在はパワースポットとしても人気を集めている。 境内にあるカエルの置物は将門の首が京都から東国へ帰ったことに因むといい、蛙を供えると左遷先から無事本社に帰れるなどご利益があるという。 |
見どころ | 石碑、カエル |
拝観料 | 無料 |
拝観時間 | 24時間 |
サイト | なし |
住所 | 千代田区大手町1-2-1 |
歴史
伝承によれば、討ち取られた将門の首は京都に運ばれ晒しものにされたが、何者かに持ちされれ、あるいは自ら東国へ飛び去りこの地におさまったという。
その後、塚は荒れた状態になっていたが、周辺で疫病の流行や天変地異が相次ぐと将門の祟りが噂され、これを聞いた時宗の僧・他阿真教が塚を修復して将門に「蓮阿弥陀仏」の法名を贈り、さらに1309年(延慶二年)、近くの明神社(現神田明神)にに将門を合祀し、将門の供養のため芝崎道場(浅草の日輪寺の前身)を創建した。
江戸時代には、区画整理のため神田明神が現在地へ遷され、当地には譜代大名酒井家の上屋敷が建てられたが、将門塚は邸内に残り続けた。
明治維新後は大蔵省の所有地となり、関東大震災で塚が崩れた後、大蔵省仮庁舎が建設が計画されたが、当時の大蔵大臣早速整爾をはじめ、関係者が相次いで不審な死を遂げたため、将門の祟りが噂され中止となった。
現在は神田明神や日輪寺、三井物産など周辺の企業が会員となっている将門塚保存会によって管理されている。
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アクセス
大手町駅から
東京メトロ・都営地下鉄大手町駅C5出口を出てす徒歩1分。
東京駅から
東京駅丸の内中央口を出て行幸通りを進み、皇居手前で右折して日比谷通り(国道1号)に入る。
しばらく歩き読売新聞東京本社手前を左折すれば到着。所要時間は約11分。
駐車場
参拝者用の駐車場などはないので車の場合は、大手町ビル駐車場(大手町1丁目6−1)、タイムズ東京サンケイビル(大手町1-7)などを利用。
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