成田山新勝寺

[spp]

基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


0

種類 寺院(真言宗智山派)
アクセス 京成成田駅・JR成田駅から徒歩10分。駐車場あり。
概要 成田山新勝寺は千葉県成田市にある真言宗智山派の大本山寺院。
939年(天慶二年)に起きた将門の乱の際に朱雀天皇の命を受けた寛朝僧正が弘法大師開眼の不動明王像を持って当地へ下り調伏の護摩を行ったことを起源とし(このため神田明神など平将門を祀る神社にお参りした後に成田山にいくと祟りにあうといわれている)、中世には荒廃したが、江戸時代には人気役者の市川團十郎が当山に帰依して(市川家の屋号成田屋は成田山による)不動明王のありがたさ宣伝する芝居を行ったことや江戸で頻繁にに出開帳を行ったことにより庶民の間に信仰が広がり成田詣が盛んになった。
現在でも広大な寺域を持ち、特に正月の初詣には日本でもトップクラス(明治神宮についで2位の事が多い)の参拝客数を集めることで知られている。成田不動とも呼ばれ、武蔵の高幡不動、相模の大山不動と共に関東三大不動のひとつ。
見どころ 表参道仁王門こわれ不動一切経堂三重塔大本堂釈迦堂額堂光明堂奥之院平和大塔薬師堂成田山公園
拝観時間 9時~17時
拝観料 境内自由
サイト http://www.naritasan.or.jp/
住所 千葉県成田市成田1

[gad]

成田山新勝寺の見どころ

表参道

JR成田駅から新勝寺へ続く表参道には、旅館、和菓子屋、料理屋、土産物屋など古風な雰囲気の店が建ち並ぶ。
最近では様々なグルメがあるが特に人気なのが歩いて成田詣をした江戸時代の旅人に好まれたという栄養価の高いうなぎ料理で昼食の定番となっている。

仁王門

創建1070年の記念事業にとして2008年(平成十九年)に完成した総門の奥に位置するのが仁王門。
1831年(天保二年)の建立で、表側の左右には「朱振りの仁王」と呼ばれる密迹金剛力士像、那羅延金剛力士像、裏には広目天像、多聞天像が安置されている。
中央に掲げられている「うおがし」と書かれた提灯は魚河岸講より奉納されたものといい、縦3.2m、横3m、重さ1500キロと巨大。重要文化財に指定されている。

こわれ不動

仁王門と大本堂の間にある小さな御堂で、倶利伽羅不動明王を祀る。何度つくりなおしても壊れてしまうことからこの名があり、くずれ不動とも呼ばれる。

一切経堂

三重塔近くにある御堂で、1722年(享保七年)に建てられ、現存の建物は1809年(文化六年)の再建。
堂内には一切経(仏教経典の総集)を納めた輪蔵(回転式書棚)があり、これをまわすと一切経を全て読んだのと同じ功徳が得られるとされている。輪蔵の基部には輪蔵の重さに苦悶する10体の鬼神が彫刻されていおり、正面に掲げられている「一切経蔵」の額は、江戸幕府の老中を務めた松平定信(1758-1829年)の筆。

三重塔

大本堂の手前にある高さ約27メートルの塔。
1722年(享保七年)の建立で、内部には大日如来を中心に五智如来が安置され、周囲には江戸時代の彫刻家島村円徹による十六羅漢の彫刻がる。重要文化財に指定。

大本堂

新勝寺の中心をなす巨大な建物で、1986年(昭和四十三年)の建立。堂内には本尊の不動明王像や矜伽羅童子像、制咤迦童子像、四大明王像などを安置する。

釈迦堂

大本堂左手に位置する建物で、1858年(安政五年)に建立され現在の大本堂が完成するまで本堂として使われていた。堂内には釈迦如来像を安置し、周囲には五百羅漢が彫刻されている。重要文化財に指定。

額堂

信徒によって奉納された額や絵馬を掲げておくための建物で、壁や扉は無く吹き抜けになっている。1861年(文久元年)の建立であり重要文化財に指定されている。
堂内に安置されている石像は七代目市川團十朗が奉納したものといい、新勝寺には七代目団十郎の寄進で建てられたもうひとつの額堂があったが、1965年(昭和四十年)に放火で焼失している。

光明堂

1701年(元禄十四年)に建立され、釈迦堂が本堂になるまで本堂として使われていた建物。堂内には大日如来像、愛染明王像、不動明王像を安置し、恋愛成就にご利益があるという。

奥之院

光明堂の背後にある洞窟で、内部には大日如来が安置されている。普段は入れないが毎年7月7~9日に行われる成田祇園祭の期間中だけ一般に公開される。

平和の大塔

境内奥部に位置する総高58メートルの巨大な塔。
1984年(昭和五十九年)に建てられたものであり、2階明王殿に五大明王像、3階経蔵殿と4階法蔵殿に信徒から奉納された掛仏、5階金剛殿には五智如来像を安置する。

薬師堂

薬師堂は成田駅から新勝寺へいたる参道の途中にある御堂で、1732年(享保十七年)の建立と成田山に現存する建物のなかで最も古く、光明堂が本堂になる以前に本堂として使われていたもの。
子ができずに悩んでいた初代團十郎が参詣して息子をえたとの話が伝わり、健康長寿・病気平癒にご利益があるという。

成田山公園

新勝寺の境内には16万5000m²にも及ぶ広大な公園があり、梅、桜、藤、菊、紅葉など季節ごとに様々な植物を楽しむことができる(特に紅葉は美しいことで有名)。また、園内には成田山書道美術館(営業時間9時~16時、入館料大人500円)がある。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「釈迦如来」、②「大日如来」、③「荼枳尼天」、④「不動明王」、⑤不動明王(種字?)、⑥「薬師如来」。
入手場所 ①は釈迦堂、②は光明殿、③は出世稲荷、④は大本堂または授与所、⑤と⑥は平和の大塔。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 シンプルなオリジナル御朱印帳があります。サイズは縦18cm、横12cm、値段は2000円。

お守り

成田山新勝寺では様々なご利益のあるお守りが授与されているが特に人気なのは身代わりお守りだという。江戸時代、仁王門の再建に従事していた辰五郎という大工が高い足場から落ちたところこのお守りが身代わりになって怪我一つなかったという話しから人気が広まり、戦時中には弾除けとして軍人に好まれた。
また勝運アップにご利益のある勝守りや交通安全御守も人気があるという。

歴史

939年(天慶二年)、平将門が東国で反乱を起こすと朝廷はただちに討伐を命じたが、それと同時に京都遍照寺の僧寛朝に朝敵調伏の祈祷を命じた。寛朝は高雄山神護寺に安置されていた空海自刻の不動明王像を持って東国へ降り、下総国公津ヶ原(現在の成田市公津)で不動護摩を行った。将門が平貞盛、藤原秀郷らに討ち取られた後、この不動明王像を安置する堂宇が建てられ、新勝寺の寺名を贈られたのが当寺のはじまりと伝えられる。
室町時代・戦国時代には衰退して荒廃した状態となっていたが、江戸時代になると佐倉藩の支援を受けて寺観を整え、1705年(宝永二年)には現在地へ移転。また1703年(元禄十六年)に江戸深川で出開帳(本尊不動明王像の公開)が行われて以来、明治に至るまで計15回行われた出開帳は庶民の信仰を集め、成田詣が盛んに行われるようになった。さらに成田の出身である初代市川團十郎が当寺の不動明王に祈願して子宝を授かったことに感謝して、不動明王を登場させる芝居を行ったことも成田山の人気を高める要因となった。市川家は以後も代々成田山を信仰し、天保の改革で弾圧された七代目團十郎は一時山内の延命院に身を潜めている(現在でも市川家との縁は続き近年も節分の豆撒きに市川海老蔵が参加している)。
明治以後各地に別院を設け、現在では東京(深川不動堂)、横浜、札幌、川越、大阪、名古屋などに別院がある。

広告

駐車場

周辺には弘恵会土屋駐車場(乗用車600円、バイクや自転車も停められる)、成田市第二駐車場(3時間まで1時間毎100円、以降30分毎100円)、ナビパーク成田東町第1駐車場(30分200円、12時間最大800円)、弘恵会田町駐車場(1日800円)、門前駐車場(1日800円)などがあるので車の場合はこれらを利用。
ただし初詣の際は混雑するので公共の交通機関を利用するのがおすすめ。

 
[gad45]

広告