建長寺

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基本情報

知名度 ★★★★
平均評価




4.5

種類 寺院(臨済建長寺派)
アクセス JR横須賀線北鎌倉から徒歩15分。有料駐車場あり(乗用車1時間/600円)。
概要 建長寺は神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗の寺院。
鎌倉幕府第五代執権北条時頼により1249年(建長元年)に造営が開始され、1253年(建長五年)に完成。開山には宋から来日した禅僧蘭渓道隆が招かれ、鎌倉幕府の事実上の最高権力者の地位を世襲した北条氏の庇護のもと栄えた。
また、室町時代には鎌倉五山の第一に列せられるなど高い寺格を誇った。現在は臨済宗建長寺派の大本山となっている。
見どころ 総門三門仏殿法殿方丈梵鐘柏槇回春院半僧坊
拝観時間 8時〜16時30分
拝観料 大人500円、子供200円
サイト http://www.kenchoji.com/
住所 神奈川県鎌倉市山ノ内8

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建長寺の見どころ

総門

境内入口に位置する門で、京都上京区にあった天台宗寺院・般舟三昧院で1783年(天明三年)に建てられた門を1943年(昭和十八年)に移築したもの。掲げられている「巨福山」(建長寺の山号)は第十代住職一山一寧の筆によるもので、巨の字に一点つけ加えられているのが特色。巨福門とも呼ばれる。

三門(山門)

総門の奥に位置する巨大な重層門。現在の建物は1775年(安永四年)に万拙碩誼により再建されたもので、この時境内に住んでいたタヌキが化けて勧進に活躍したという伝説から「狸の三門」とも呼ばれる。また、創建してすぐの頃、三門下で施餓鬼会(餓鬼道で苦しむ人々に食事を施して供養する儀式)を行った際、終わった直後に一人の武者がやってきて終わったことを知ると引き返していこうとしたが、不審に思った蘭渓道隆が呼び止めるとそれは梶原景時(1200年に鎌倉幕府内の権力闘争により滅亡)の亡霊だったと言う話しも伝わり、以来、建長寺では通常の三門施餓鬼会の後に梶原施餓鬼会を行うことが慣わしととなった。普段は見ることができないが、上層には宝冠釈迦如来像や五百羅漢像などが安置されている。

仏殿

三門の奥に位置する建物。現在の建物は、1647年(正保四年)に芝の増上寺にあった江戸幕府二代目将軍徳川秀忠の正室・崇源院の霊廟(1628年建立)年が移されたもので、国の重要文化財に指定されている。堂内には高さ2.4mにもなる巨大な本尊の地蔵菩薩坐像を安置する。

法堂

仏殿の奥の建物。法堂とは僧侶が説法する場で、禅宗以外では講堂と呼ばれる場合が多い。現存する建物は、建物は1814年(文化十一年)に再建されたもので、関東では最大級の規模を誇る。堂内には千手観音菩薩像が安置され、天井には2004年(平成十四年)に日本画家小泉淳作によって描かれた雲龍図がある。

方丈

総門と同じく1943年(昭和十八年)に般舟三昧院から遷されたもので、龍王殿とも呼ばれる。方丈の背後にある庭は夢窓疎石の作と伝えられている。

梵鐘

三門脇の鐘楼に吊るされている高さ2mの巨大な鐘で、北条時頼の命で1255年(建長七年)に鋳物師の物部重光により鋳造されたもの。多くの建物が火事や震災により失われたなかで、創建当初から伝わる貴重な品で国宝に指定されている。銘文は蘭渓道隆によるもの。

柏槇

仏殿前の庭に植えられている古木。うち数本は蘭渓道隆が宋から持ち込み植えたものとされ、創建当初から建長寺を見守り続けている。

回春院

建長寺の塔頭(大規模な寺院の境内にある小寺院)のひとつで、1334年(建武元年)に没した建長寺第21世住持玉山徳璇の塔所。文殊菩薩を本尊とし、1659年(万治二年)の銘を持つ毘沙門天立像や江戸時代の仏覚禅師座像も安置する。ややわかりにくい場所にあるためか訪れる人は少ないが、池があり秋には紅葉も楽しめる。

半僧坊

長い階段を登った境内の最奥部に位置する建物で、1890年(明治二十三年)に当時の住持・霄貫道禅師が静岡県の深奥山方広寺から勧請した半僧坊権現を祀る。半僧坊権現とは、方広寺の開山である無文元選(1323-1390)という臨済宗の僧が元から帰国する途中の船で悪天候に見舞われた際に、船を護ったとされる神で、海上安全、家内安全などのご利益があるという。半僧坊へ行く途中には天狗や烏天狗の像があり、境内の他の場所とは違った雰囲気を醸しだしている。また、周辺では春に桜、秋に紅葉が美しく、更に階段を上ると勝上献展望台があり辺りを一望することができる(この道は瑞泉寺に抜ける天園ハイキングコースに続いている)。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「南無地蔵尊」、②「千手観音」、③「半僧坊大権現」、④「勝上嶽地蔵」、⑤「済田地蔵地蔵尊」、⑥「心平寺地蔵尊」、⑦「おびんずる尊者」、⑧「南無大師遍照金剛」、⑨「南無釈迦牟尼佛」、⑩「南無文殊菩薩」。
入手場所 ①-⑨は入り口に左手の御朱印所。⑩は半僧坊へ行く途中を右に入ったところにある回春院。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 「天下禅林」と書かれた御朱印帳があります。

建長寺の歴史

鎌倉幕府第5代執権北条時頼により1249年(建長元年)に建築が開始され、1253年(建長五年)には落慶供養が行われ、開山には1246年(寛元4年)に来日し常楽寺の住持となり高い評判を得ていた禅僧の蘭渓道隆が就いた。創立の目的は上皇万歳、天下太平の祈りや源氏と北条一門の菩提を弔うことにあったとされる。
建長寺の建っている巨福呂坂は地獄谷とも呼ばれ、処刑場として使われるなど当時の鎌倉の境界的な場所であり、建長寺創建以前には刑死した人々を弔うために心平寺という寺があった。ある時、斎田左衛門という武士が刑場で切られそうになるが、彼の髪の中に小さな地蔵が隠されていたため刀が折れ刑が執行できず、この話を聞いた時頼は彼を許し、この小地蔵を心平寺の地蔵堂に収めたというエピソードがあり、心平寺はやがて廃寺となるが、地蔵堂は残され建長寺へと引き継がれていいった(建長寺の本尊が地蔵菩薩なのはこのためである)。
完成した建長寺は、最初期の本格的な禅宗道場として禅の普及に中心的な役割を果たしていったが、1293年(正応六年)の鎌倉大地震で大半の建物は倒壊し、その後も度々災害に遭っている。
それでも室町時代初期には鎌倉五山の一位に列せられ繁栄を極めたが、1414年(大永二十一年)に大火に見舞われ、壊滅的な損害を受け衰微した。
その後、徐々に復興され、江戸時代には徳川家の援助でいくつかの建物が建てられたり移築されたりしている。
ちなみに、けんちん汁は建長寺の修行僧が作っていた「建長汁」がなまって「けんちん汁」になったといわれており、精進料理であるため本来は肉や魚介系の出汁は使われない。

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アクセス

北鎌倉駅から

北鎌倉駅前の道路は鎌倉駅方向に向かって道なりに歩けば約15分で到着。

鎌倉駅から

鎌倉駅東口ロータリーを直進して若宮大路に出て鶴岡八幡宮方面に直進。八幡宮前で左に曲がり道なりに進めば約25分で到着。江ノ電バスを利用することもできる。

駐車場

境内入り口に建長寺の専用駐車場があり、収容台数は30台程で、営業時間は8時30分~16時30分、利用料金は一時間、乗用車600円、バス2000円となっています。また周辺には、タイムズ建長寺西(平日30分200円、土日祝20分200円)、北鎌倉第3駐車場(平日60分300円、土日祝30分200円)などがあります。

 
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