増上寺

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基本情報

知名度 ★★★★★
平均評価


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種類 寺院(浄土宗鎮西派)
アクセス 都営地下鉄三田線御成門駅・芝公園駅から徒歩3分。都営地下鉄浅草線・大江戸線大門駅から徒歩5分。JR山手線浜松町駅から徒歩10分。東京メトロ日比谷線神谷町駅から徒歩10分。都営地下鉄大江戸線赤羽橋駅から徒歩7分。駐車場10台分あり。
概要 増上寺は東京タワーの麓、港区芝公園にある浄土宗の寺院。
武蔵国豊島郷貝塚台局沢(現在の千代田区平河町辺り)にあった真言宗の光明寺を室町時代に聖聡が浄土宗に改宗して増上寺と号したのが始まりとされ、江戸時代には上野の寛永寺と共に徳川将軍家の菩提寺とされ大いに繁栄した。
その後、明治の廃仏棄釈や第二次大戦中の空襲により多くを失い、現在では新旧の建物が入り混じって建つ。
主な行事には、初詣(1月1~4日)、節分追儺式(2月3日)、潅仏会(4月8日)、景徳祭(5月10日)、平和祈願会(8月15日)、十夜法要(11月15日)がある。
見どころ 三解脱門大殿鐘楼堂安国殿徳川将軍家墓所四菩薩像西向聖観世音菩薩・千躰子育地蔵尊
拝観時間 9時~17時(宝物展示室は10時~16時、火曜日休館)
拝観料 境内自由(宝物展示室は700円、徳川将軍家墓所は500円、共通1000円)
サイト http://www.zojoji.or.jp/
住所 東京都港区芝公園4-7-35

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増上寺の見どころ

三解脱門

日比谷通りに面して建つ正面19m、側面9m入母屋造朱塗りの巨大な重層門。
1622年(元和八年)に幕府大工頭中井正清らによって建てられたもので、江戸時代初期から残る唯一の遺構となっており、国の重要文化財に指定されている。
三解脱門とは、貪(むさぼる)・瞋(怒り恨み)・痴(非理性的な愚かさ)という3種類の煩悩からの解脱を象徴した門のこと。楼上には釈迦三尊像と十六羅漢像を安置する。
三解脱門の奥にはアメリカの第18代大統領ユリシーズ・グラントが1879年(明治十二年)に来日した際に手植えした、通称グラント松が聳える。

大殿・宝物展示室

増上寺の本殿にあたる建物で、現存するのは1974年(昭和四十九年)の再建。
内部には室町時代の本尊阿弥陀如来坐像と高祖善導大師像、宗祖法然上人像が安置されている。
また大殿の地下は宝物展示室になっており、1632年(寛永九年)に徳川家光によって建てられ1945年(昭和二十年)の空襲により焼失した台徳院殿霊廟を再現した模型や関連資料が展示されている。
この模型は1910年(明治四十三年)にイギリスで行われた日英博覧会のために建築家の古宇田実造と彫刻家の高村光雲(高村光太郎の父)の監修のもと造られたもので、展示後イギリスで保管されていたが日本で広く一般に公開してほしいという英国側の要望により2014年(平成二十六年)帰還を果たした。入場料700円(徳川将軍家墓所との共通券は1000円)、10時~16時、火曜日は休館(祝日の場合は開館)。

鐘楼堂

建物は戦後の再建だが、江戸三大銘鐘のひとつに数えられた高さ1丈(約3m)、重さ四千貫(約15t)という巨大な梵鐘が納められている。
1673年(延宝元年)、徳川家綱の命で鋳造されたがあまりの大きさに完成まで7回の鋳造を必要としたという。
その音の大きさから江戸の7割の地域で聞こえたと伝えられ、「今鳴るは 芝か上野(寛永寺)か 浅草(浅草寺)か」と親しまれた。さらには熊谷や木更津でも聞こえたという話まで残されている。

安国殿

大殿の隣に位置する建物で、恵心僧都(源信)作と伝えられる秘仏の黒本尊(阿弥陀如来像)を安置する。
この像は徳川家康が深く崇敬したと伝えられ、元は金色だったが長年の煤で黒ずんでしまったので黒本尊と名付けられたという。1月15日、5月15日、9月15日のみ開帳。

徳川将軍家墓所

増上寺には徳川将軍家の菩提所として、2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家持の6人の将軍や崇源院(秀忠正室)桂昌院(家光側室)、天英院(家宣正室)、月光院(家宣側室)、広大院(家斉正室)、天親院(家定正室)、静寛院宮(家茂正室)などが葬られた。
しかし、その霊廟は1945年(昭和二十年)の空襲で破壊され、残された跡地も戦後売却されホテルとなった。
埋葬されていた遺体は1958年(昭和三十三年)に人類学者の鈴木尚氏らによって発掘調査され、桐ヶ谷で火葬された後現在地にまとめて葬られた。拝観受付時間10時~16時、拝観料大人500円、高校生以下無料。

四菩薩像

徳川将軍家墓所の前にある文殊菩薩、虚空蔵菩薩、地蔵菩薩、普賢菩薩の像。1258年(正嘉二年)の建立。

西向聖観世音菩薩・千躰子育地蔵尊

西向聖観世音菩薩は安国殿前の御堂に祀られている仏像で、鎌倉幕府執権北条時頼が観音山(現在の東京タワー辺り)に辻堂を建て西側の鎌倉街道に向けて安置したものと伝えられている。
子育て・安産に霊験あらたかとされ、その奥には信徒によって奉納された千躰子育地蔵尊が並ぶ。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「本尊阿弥陀如来」、②「黒本尊」、③「西向聖観音」、④「不断念仏」、⑤「南無阿弥陀仏」。
入手場所 大殿の隣に位置する安国殿。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 あり。
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歴史

武蔵国豊島郷貝塚台局沢(現在の千代田区平河町から麹町辺り)に宗叡が建てた光明寺(光明院)という真言宗の寺があり、1393年(明徳四年)浄土宗第8祖聖聡がこれを増上寺と改め浄土宗の道場としたのが始まりと伝えられ、東国における浄土宗の拠点として発展していった。
第12世源誉存応が江戸に入った徳川家康の帰依を受け、1590年(天正十八年)に徳川家の菩提寺となり、1598年(慶長三年)現在地の芝に移転した。
徳川将軍家の支援を受けて大伽藍が建設され、関東十八壇林の筆頭とされるなど京都の知恩院と並ぶ寺格を誇り、江戸時代を通じて繁栄した。
しかし明治に入ると上知令により大幅に寺地を縮小され、神仏分離令の影響で芝東照宮が独立するなど大打撃を被り、1873年(明治六年)と1909年(明治四十二年)には火災に遭うなど災難が続いた。
その後徐々に復興されたが1945年(昭和二十年)の空襲でほとんどの建物を失い、徳川家の霊廟跡地も売却されホテルやゴルフ場となった。
その後1970年代頃から本格的な復興が始まり、現在は約1万6000坪の境内に新旧の建物が建ち並ぶ。

 
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