根来寺

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基本情報

知名度 ★★★
平均評価


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種類 寺院(新義真言宗)
アクセス JR和歌山線岩出駅から和歌山バス近畿大学経由樽井駅前行きに乗り、根来寺下車。JR阪和線和泉砂川駅から和歌山バス近畿大学経由岩出駅前行に乗り、根来寺下車。駐車場あり。
概要 和歌山県岩出市にある新義真言宗の寺院。
高野山金剛峯寺主座を務めた覚鑁(1095-1144年)が内部対立により高野山を去り、1140年(保延六年)に根来に移ったのが根来寺の始まり。
その後、多数の僧兵を擁し強大な勢力に発展したが、豊臣秀吉軍の焼き討ちを受けほとんどの建物を失った。
しかし、江戸時代には紀州徳川家の庇護の再建が進み、現在も広大な敷地に多数の堂宇が建て並ぶ。
主な行事には、初詣(1月1日~5日)、節分会・星まつり(2月3日)、両祖大師降誕生 (6月17日)、大施餓鬼会(8月第1日曜日)、かくばん祭り(11月第4土曜日)がある。
見どころ 大門大伝法堂大塔大師堂不動堂紅葉・桜
拝観時間 4月-10月:9時10分~16時30分。11月-3月:9時10分~16時
拝観料 中学生以上500円、小人無料
サイト http://www.negoroji.org/
住所 和歌山県岩出市根来2286

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根来寺の見どころ

大門

根来寺一山の入り口(現在は途中が宅地になっている)に位置する高さ約16m、幅約18mの重層門。
初層左右には仁王(金剛力士)像、上層には釈迦三尊像と十六羅漢像を安置する。1850年(嘉永三年)の建立。

大伝法堂

根來寺の本堂にあたる建物で1827年(文政十年)の再建。
堂内には本尊の大日如来像、その左に尊勝仏頂像、右に金剛薩埵像(室町時代の作、重要文化財)を安置する。

大塔

豊臣秀吉軍により焼き討ちから生き残った数少ない建物のひとつで、1547年(天文十六年)の建立。
高さは40m、幅は15mあり、多宝塔としては日本最大級。国宝に指定されている。

大師堂

大師堂も焼き討ちを免れた建物で、1391年(明徳二年)の建立とされている。
堂内には真言宗の宗祖である弘法大師空海像を安置する。重要文化財に指定。

不動堂

江戸時代中期までの再建。
覚鑁が危機に陥った時に身代わりになって救ったとの伝説を持ち、「三国一のきりもみ不動」の名で知られる不動明王像を安置する。

紅葉・桜

根来寺は紅葉・サクラの名所として有名であり、春と秋のシーズンには多くの人が訪れる。

御朱印・御朱印帳

種類 ①「大日如来」の御朱印、②「興教大師」の御朱印、③真言宗十八本山「興教大師」の御朱印、④「身代り不動」の御朱印、⑤「愛染明王」の御朱印
貰える場所 ①~③は本坊寺務所、④と⑤は不動堂。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 境内が描かれた御朱印帳があります。サイズ16cm×11cm、値段1000円。

歴史

根来寺の開山であり興教大師覚鑁は、肥前国藤津庄(現現佐賀県鹿島市)に生まれ、13歳の時、京都仁和寺に入り寛助のもとで学び、20歳で東大寺戒壇院で受戒した。
その後、高野山金剛峯寺へ入り、真言密教の復興に尽力し、鳥羽上皇の支援のもと高野山内に学問研究の場として大伝法院を設立した。
さらに金剛峯寺座主に就任して真言宗の建て直しを図り諸改革を実行するが、一部の僧侶がこれに激しく反発し襲撃にまで発展したため、1140年(保延六年)、覚鑁は門下を引き連れて根来に移り豊福寺・円明寺を創建した。
覚鑁の死後、一部の衆徒は高野山に戻ったが、1288年(正応元年)、大伝法院の学頭頼瑜は大伝法院の寺籍を根来に移し、門下の僧侶を率いて根来に移ったため、新義真言宗(覚鑁の教説の流れを汲む真言宗)の拠点としての根来寺が成立した。
以降、、坊舎80余、子院堂塔2700余、領地70万という強大勢力に発展し、根来寺衆と呼ばれる僧兵を多数抱えたが、1585年(天正十三年)、豊臣秀吉軍による焼き討ちを受け、多くの建物を失った。
これにより衰退を余儀なくされたが、江戸時代になると紀州徳川家の支援せ再興され、現在に至る。

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アクセス

岩出駅から

JR和歌山線岩出駅下車→和歌山バス近畿大学経由樽井駅前行き→根来寺下車すぐ。
または、JR和歌山線岩出駅下車→和歌山バス樽井駅前行き→岩出図書館下車、徒歩10分。

樽井駅・和泉砂川駅から

和泉砂川駅・樽井駅下車→和歌山バス近畿大学経由岩出駅前行→根来寺下車すぐ。
または、和泉砂川駅・樽井駅下車→和歌山バス岩出駅前行→岩出図書館下車、徒歩10分。

京奈和自動車道岩出・根来IC→県道63号線→風吹交差点を左折→岩出市民俗資料館手前で左折→駐車場。

 
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