高山寺

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基本情報

知名度 ★★★
平均評価


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種類 寺院(古儀真言宗系単立)
アクセス JRバス栂ノ尾下車徒歩5分、市バス高雄下車徒歩約15分、駐車場50台分あり(紅葉シーズン以外無料)
概要 高台寺は京都市右京区梅ケ畑栂尾町にある古儀真言宗系の単立寺院。
774年(宝亀五年)に、光仁天皇の勅願で建てられた神願寺都賀尾坊が始まりだとだされ、神護寺の別院を経て、1206年(建永元年)、明恵(1173-1232年)によって新たに華厳道場「高山寺」として復興された。
その名にふさわしく山間深くにあり、周囲には松や杉、楓の古木が生い茂り、紅葉の名所として有名でシーズン中には多くの人が訪れる。
また文化財も豊富で有名な鳥獣人物戯画(ただ博物館に寄託されており寺にあるのは模本)を始め、8件の国宝を所有する。1994年(平成六年)には「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。
見どころ 石水院(五所堂)鳥獣戯画茶園開山堂金堂
拝観時間 8時30分~17時(紅葉シーズンは8時~17時)
拝観料 境内無料(紅葉シーズンのみ入山料500円)、石水院→600円
サイト http://kosanji.com/
住所 京都府京都市右京区梅ケ畑栂尾町8

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高山寺の見どころ

石水院(五所堂)

境内入口近くに位置する正面三間、背面四間、側面三間、入母屋造杮葺の建物。
創建当初には現在の石水院の建物は経蔵(お経や書物を収蔵する建物)として使われており、別なところに明恵上人の住居として使われていた石水院があった。しかし、1228年(安貞二年)の洪水によって元の石水院が流されたために、石水院に祀られていた春日・住吉大明神を経蔵に移し、名称も石水院と変えられた。この新石水院の建物は金堂の近くに建っていたが、1889年(明治二十二年)に現在地へ移築されて、住宅様式に改められた。このように複雑な経過を辿っているが唯一現存する明恵上人による創建当初からの貴重な建物で国宝に指定されている。内部には善財菩薩を安置し、樹上で座禅する姿を描く明恵上人樹上坐禅像(複製)や鳥獣戯画(複製)などの高山寺に伝わる寺宝が展示されている。掲げられている「日出先照高山」の扁額は、後鳥羽上皇より下賜されたものだと伝えられる。

鳥獣人物戯画

高山寺に伝わる変わった絵巻物で、甲・乙・丙・丁の全4巻から成り、特に擬人化されたカエル、ウサギ、サル、キツネなどがユーモラスに描かれている甲巻が有名。日本の漫画の源流とされることもある。作者は戯画の名手だと伝えられる鳥羽僧正覚猷(1053-1140年)ともされるが詳細は不明で、4巻は一度に成立したものではなく、甲乙巻が平安時代後期、丙丁巻は鎌倉時代に作られたものだと考えられている。甲・丙巻が東京国立博物館に、乙・丁巻が京都国立博物館に寄託されているため石水院で展示されているのは複製されたもの。国宝に指定されている。

茶園

高山寺は日本で始めて茶が栽培された場所だとされ、境内の茶園には「日本最古之茶」の石碑が立つ。喫茶の習慣を中国から持ち込んだことでも知られる臨済宗の開祖栄西から明恵上人が茶の実を譲り受け境内に植えたたのが始まりで、出来た茶を修行僧達に飲ませたところ眠気覚ましの効果があったので本格的に栽培されるようになったという。これを宇治に分けたのが宇治茶の起源だといい、中世には栂尾(高山寺周辺の地名)産の茶を本茶、それ以外の産地のものを非茶と言った。現在でも五月に茶摘みが行われ、11月8日には献茶式がある。

開山堂

建物は江戸時代の再建だが、明恵上人が晩年を過ごし、1232年(寛喜四年)に亡くなった場所である禅堂院の跡地に建ち、明恵上人坐像(重要文化財)を安置する。近くには明恵上人の霊廟もあり、石造の篋印塔(重文)や如法経塔(重文)などが立ち並ぶ。

金堂

建物は寛永年間(1624~1644年)に仁和寺から移築したもので、内部には本尊の釈迦如来像を安置する。石水院や開山堂がある場所から少し離れた場所にあり、簡素な建物がひっそりと佇んでいる。

御朱印・御朱印帳

種類 「本尊釈迦如来」の御朱印1種類。
入手場所 石水院の拝観受付。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 鳥獣戯画がデザインされたオリジナル御朱印帳が数種類あります。値段は1500円か2000円。
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歴史

774年(宝亀五年)、光仁天皇に勅願でこの地に神願寺都賀尾坊が創建され、814年(弘仁五年)には都賀尾十無尽院と改称された。平安時代初期には度賀尾寺という名前の寺になっていたようだが詳細は不明で、その後衰微したとされる。
平安時代末期から鎌倉時代初期に真言宗の僧文覚(1139-1203年)によって復興され、神護寺の別院となった。
1206年(建永元年)、後鳥羽上皇の院宣によりこの地を与えられた明恵は華厳道場を建て、上皇から贈られた「日出先照高山之寺」の勅額により高山寺と号した。
1219年(承久元年)には金堂が完成するなど、この頃まで主要な建物が揃い寺観を整えた。また、1225年(嘉禄元年)には説戒会を始め、多くの人が集まったという。
室町時代にはすでに紅葉や茶の名所として知られていたが、1547年(天文十六年)細川春元軍に火を放たれ、石水院を除くほとんどの建物が焼失した。
1966年(昭和四十一年)より単立寺院。所蔵の国宝に石水院、鳥獣人物戯画、仏眼仏母像、華厳宗祖師絵伝、明恵上人像、篆隷万象名義、冥報記、玉篇巻第廿七がある。

 
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