壬生寺

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基本情報

知名度 ★★★
平均評価


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種類 寺院(律宗)
アクセス 市バス壬生寺道下車すぐ。阪急電車大宮駅・嵐電四条大宮駅徒歩8分。
概要 壬生寺は京都市中京区坊城通仏光寺上ル壬生梛ノ宮町にある律宗の寺院。
991年(正暦二年)園城寺(三井寺)の僧快賢が御堂を建て地蔵菩薩を本尊として安置したのが始まりとされる。
幕末には新撰組の屯所が当寺に置かれた関係で、新撰組ゆかりの遺構が残されている。また壬生狂言と言われる伝統芸能が有名で、無形重要文化財にも指定されている。
見どころ 本堂・千体仏塔大念仏堂歴史資料館壬生塚中院
拝観時間 8時~17時
拝観料 境内自由。歴史資料室200円、壬生塚100円。
サイト http://www.mibudera.com/
住所 京都府京都市中京区坊城通仏光寺上ル壬生梛ノ宮町31

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壬生寺の見どころ

本堂

建物は1970年(昭和四十五年)の再建で、内部には重要文化財の木造地蔵菩薩立像を祀る。
これは火災で旧本堂と本尊が燃えた後、唐招提寺から移したもので、貞観期(859年~877年)の作。
本堂の隣には石を積み上げられて造られた円錐形の奇妙な建物があるが、明治期に行なわれた周辺の区画整理の際に集められた1000体の石像を使って1989年(平成元年)に建てられたもので、千体仏塔と呼ばれる。

大念仏堂

北門近くにある建物で、壬生狂言の行なわれる舞台となっている。
「壬生寺のカンデンデン」の愛称でも知られる壬生狂言は壬生寺に伝わる伝統芸能で、仮面を付けた演者が一切声を発っせず身振り手振りで役を表現する。
1300年(正安二年)に円覚上人が、仏教の教えを民衆に伝えるために無言劇を行なったのが始まりとされる。
テーマは仏教的なものから一般的なものまであり、節分、4月、10月に地元の人達によって演じられる。

歴史資料館

阿弥陀如来三尊像を安置する2002年(平成十四年)再建の阿弥陀堂の中にある資料館。
壬生狂言で使われるお面や道具、壬生寺に伝わる文化財を展示する。入館料200円が必要。

壬生塚

観音堂の奥にある塚のことで、新撰組を率いた近藤勇の遺髪を納めた塚や平山五郎・芹沢鴨など新撰組の隊員達の墓がある。また、近くには近藤勇の胸像も建てられている。入場料100円が必要。

中院

現存する壬生寺唯一の塔頭で、1829年(文政十二年)再建の御堂には本尊の十一面観音像を安置する。
京都三十三観音霊場第二十八番札所であり、健康長寿に霊験があるという。

御朱印・御朱印帳

種類 ①京都十二薬師第四番「歯薬師」の御朱印、②「地蔵尊」の御朱印、③「大悲殿」の御朱印。
入手場所 境内寺務所。
値段 1件300円
オリジナル御朱印帳 寺名の入ったシンプルな御朱印帳があります。値段は900円。
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歴史

991年(正暦二年)園城寺(三井寺)の快賢が母の供養のために定朝に地蔵菩薩像を彫らせ、御堂を建てたのが始まりとされる。1005年(寛弘二年)、御堂の落慶供養が営まれ、人々からは小三井寺と呼ばれた。承暦年間(1077年~1088年)には白河天皇の行幸が行なわれ、地蔵院の号を賜り、天承年間(1131年~1132年)には鳥羽上皇も行幸している。
元は五条坊門壬生にあったが1213年(建保元年)、大和守平宗平が現在地へ移設した。1257年(正嘉元年)に火事で焼失するが、宗平の子政平によって復興され、宝憧三昧寺と改称した。また、正安年間(1299~1302年)に円覚上人が住し、大念仏会を行なったことは壬生狂言の起源となった。
その後衰退したが、江戸時代に入るとしだいに復興し、幕末には新撰組の拠点として使用された。
明治になると廃仏毀釈などの影響で衰え、1962年(昭和三十七年)には、火災で本堂をはじめ本尊地蔵菩薩半跏像や四天王像を焼失した。現在の本堂は1970年(昭和四十五年)の再建。

 
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