三井寺(園城寺)

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基本情報

知名度 ★★★
平均評価


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種類 寺院(天台寺門宗)
アクセス 京阪石山坂本線三井寺駅から徒歩10分、別所駅から徒歩12分。JR東海道本線大津駅から京阪バスで三井寺下車すぐ。駐車場あり(大型バス2000円、マイクロバス1500円、普通車500円)。
概要 三井寺は滋賀県大津市園城寺町にある天台寺門宗の寺院。
境内に天智・天武・持統の三天皇の産湯に使われたと伝えられる霊泉があることから「御井の寺」「三井寺」と呼ばれるようになり、現在でも三井寺の名前で知られるが正式には長等山園城寺という。
686年(天武天皇十五年)に創建されたと伝えられ、858年(天安二年)に唐から帰国した天台宗の僧円珍が再興した古刹であり、現在でも貴重な文化財が数多く残されている(日本三不動の1つ黄不動など公開されていない文化財も多い)。西国三十三観音14番札所。
主な行事には、修正会(1月1日)、仁王会(1月8日)、尊星王星祭(2月節分)、涅槃会(3月15日)、潅仏会(4月8日)、三井寺札焼(7月第二土曜)、智証大師御祥忌法要(10月29日)、三井晩鐘・除夜の鐘(12月31日)がある。
見どころ 大門金堂新羅善神堂勧学院客殿光浄院客殿釈迦堂鐘楼弁慶鐘三重塔文化財収蔵庫桜・紅葉
拝観時間 8時~17時(文化財収蔵庫は8時30分~16時30分)
拝観料 大人600円、中高生300円、小学生200円(30名以上の団体で50円割引)
サイト http://www.shiga-miidera.or.jp/
住所 滋賀県大津市園城寺町246

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三井寺の見どころ

大門(仁王門)

三井寺の正門にあたる三間一戸、入母屋造桧皮葺の重層門。
1452年(宝徳四年)に現在の湖南市にある常楽寺に建てられたのがはじまりとされ、豊臣秀吉によって伏見城に移築されていたものを1601年(慶長六年)に徳川家康が寄進して三井寺の門となった。
左右には仁王像が安置されている。重要文化財に指定。

金堂

現存する正面七間、側面七間、入母屋造桧皮葺の金堂は、1599年(慶長四年)に豊臣秀吉の正室北政所(高台院)の支援で再建されたもの。
本尊は天智天皇が信仰していたとも言われる弥勒菩薩像だが、絶対秘仏となっており拝観することはできない。
桃山時代の代表的な建造物として国宝に指定されている。

新羅善神堂

正面三間、側面三間、流造(屋根の片面が前に長く伸びて向拝となった形式)桧皮葺。1347年(貞和三年)に足利尊氏の寄進で建てられたものだと言われている。
内部には、円珍が唐から戻るために船で日本海を航行している時に現れた神であり、三井寺の守護神として祀られている新羅明神坐像(平安時代後期の作)が安置されている。
建物、新羅明神坐像とも国宝に指定。

勧学院客殿

勧学院は学問所として使われていた場所で、現存の建物は1600年(慶長五年)の再建。
国宝に指定されているが一般には公開されておらず、見学するには特別拝観の申し込みをする必要がある。

光浄院客殿

光浄院は三井寺の子院のひとつで、室町時代に当地に勢力を持った武家の山岡氏によって創建された。
現存する客殿は1601年(慶長六年)、元光浄院住持であり徳川方の武将である山岡道阿弥(景友)によって再建されたもの。こちらも国宝だが一般には公開されていない。

釈迦堂(食堂)

大門を入って右側に位置する建物。
天正年間(1573年~1593年)に造営された皇居の清涼殿を下賜されたものとのとも室町時代に建立されたものともされる。
古図には食堂として記載されているが、現在は清涼寺式釈迦如来像を安置する釈迦堂となっている。

鐘楼

現存の建物は1602年(慶長七年)の再建。
内部には近江八景のひとつに数えられている「三井の梵鐘」が吊るされている。

弁慶鐘

霊鐘堂に納められている梵鐘で、鐘楼に吊るされている梵鐘の原形となった鐘。
平将門を討ち取ったことで知られる藤原秀郷が三上山の百足を退治した功により琵琶湖の龍神から授かった鐘を三井寺に寄進したものといわれ、その後、比叡山延暦寺と三井寺の対立の中で僧兵を率いて攻め入った武蔵坊弁慶がこの鐘を奪い、比叡山まで引き摺っていったところ「イノー」(当地の言葉で帰りたい意味)と鳴ったので怒った弁慶が谷底に投げ捨てたという伝説がある。
そのためか鐘にはヒビや傷が多く入っており、「弁慶鐘」「弁慶の引き摺り鐘」と呼ばれている。

三重塔

奈良吉野の比曽寺にあった塔を豊臣秀吉が伏見城に移築し、それを徳川家康が1600年(慶長五年)に三井寺に寄進。室町時代の建築で、一層目内部の須弥壇には釈迦三尊像を安置する。

文化財収蔵庫

三井寺に伝わる文化財を収蔵、展示するための施設。
勧学院に飾られていた狩野光信筆の襖絵や鎌倉時代の両界曼荼羅・尊勝曼荼羅図(重文)、平安時代の十一面観音立像、11世紀に高麗で鋳造された朝鮮鐘などが展示されている。

桜・紅葉

三井寺一帯は桜や紅葉の名所として知られ(桜は1000本以上あるという)、春と秋のジーズン中には夜間ライトアップも行われる。
また三井寺には光浄院庭園や法明院庭園などの優れた庭園もあり、四季折々の景観が楽しめる。

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歴史

686年(天武天皇十五年)に大友皇子の子である与多王によって創建され、天武天皇から「園城寺」の勅額を贈られたと伝えられるが、実際には当地周辺に勢力を持った大友氏の氏寺として建てられたと考えられている。
その後しばらくの歴史は不明だが、866年(貞観八年)頃比叡山延暦寺の別院となり、868年(貞観十年)に第5代天台座主なった円珍に与えられて天台宗の寺院として再興された。
しかし円珍の死後、延暦寺では円珍の流れを汲む寺門派と円仁の流れを汲む山門派の対立が激化して、993年(正暦四年)には寺門派は比叡山を降りて三井寺を拠点として独立した。
その後も両者の争いは続き、平安時代には何度も延暦寺の僧兵によって焼き討ちを受けたが、天皇や貴族の寄進を受けてその都度再建されている。
平安時代末期には反平氏勢力とみなされて平宗盛に焼き払われたが、平氏滅亡後、源頼朝や鎌倉幕府の支援で復興されている。
南北朝時代には足利氏方についたため北畠顕家・新田義貞軍の攻撃を受けた。
1595年(文禄四年)には豊臣秀吉の怒りに触れたことから諸堂を破壊されたうえ寺領を没収されて一時廃寺状態に陥ったが、後に許されて秀吉の正室北政所によって金堂再建されるなど復興が進められた。
江戸時代はじめ頃までには諸堂の再建が完成し、今日に連なる寺観が形成された。

 
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